さまざまな地域で伝承される、稲の生育を見守る「田の神様」

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全国にある「田の神信仰」。春に欠かせない花見に田の神様との結びつきがあった、ということも触れたが、田の神様にまつわる伝統行事は他にもいくつかある。そもそも、「田の神様」とはなにか。今も伝わる行事やそれぞれの地域で伝承される「田の神信仰」などをもとに、私たち日本人の祖先が長年大切にし、伝えてきた田の神様について紹介したい。

 

神様をお迎えする「十六団子の日」

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東北地方の多くの地域には、旧暦の3月16日に16個の団子をつくってお供えする風習がある。これは、毎年春になると稲の成長を見守るために山から下りてくるという田の神様を迎え、五穀豊穣を祈るもの。

田の神様は杵と臼で餅つきする「トントントン」という音を聴いて山から下りてくる、とも伝えられ、この日についた餅でつくった16個の団子を供えることから「十六団子の日*」と呼ばれている。また、十六団子の日は、田の神様が山へ帰る日とされている秋の旧暦10月16日にも行われる。春から秋の間、田を見守ってくれる神への感謝と祈りを捧げる日なのだ。
*2019年の十六団子の日は4月20日。東北以外の地方では、旧暦の2月16日田の神様を迎えるところが多い。

 

「田の神様」は山から下りてきた「山の神様」?

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春になると、山の神様が田の神様となって里や田に下りてきて、秋になると山へ帰って行くーー。

このような話は、祖先の時代から現代に至るまで伝承されてきた。民俗学者である柳田國男氏が提唱した学説でもあり、それが定説化しているとも言える。

では、「山の神様」とはなにか。その礎となるのは、稲作が伝わるよりも前、縄文時代に狩猟・採取を営んでいた山や森での生活であった。やがて弥生時代となり水田稲作を営むようになっても、山と森の恵みに依存して生きてきた祖先は、古くから山の恵みに感謝するとともに、山への霊威や山の神々を心から畏れ敬ってきたという。

『山の神と日本人』の中で著者の佐々木高明は、

山の神は本来、狩猟や焼畑を営む山民の神で「主(ぬし)として山を支配する神」であり、山の霊威を象徴する神であること。山の神・田の神の去来伝承は、水田稲作民のもとで形成された観念や習俗であって、その成立の背後には、焼畑農耕から水田稲作への生業形態の変遷のプロセスがあることを述べている。

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焼畑民にとっての山の神様は、もともと山の中のどこにでも存在するものと考えられていたが、なかには特定の場所を祭りの場(聖所)として鎮まり、土地神化する山の神様が現れてくる。そうなると、神様はその聖所と焼畑耕地の間を去来するようになる。山の神様は山中の聖所から焼畑耕地に来てとどまり、作物の実りを見守り、収穫が行われ収穫儀礼を終えると再び山中の聖所に帰ることになっている、という。

このような山の神様の聖所がある地域において、谷間や平野部に稲作水田が作られるようになると、焼畑耕地と同様に、聖所から里や田に降臨して稲の豊作を司る神となり、その役割を果たすと山に帰るようになった。
焼畑民の稲作民化にともない、各地でこのような考えが発生していったと考えられている。

 

「年神様」と交替したのが「田の神様」?

田の神様は山の神様だったという説がある一方、地域によっては「田の神様は年神様だ」という伝承も残っている。「年神」とは、お正月にお迎えしその1年の無病息災、多幸をお祈りする大事な神様だ。

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『田の神・稲の神・年神』の中で著者の藤原 修氏は著書の中でさまざまな地域における「田の神去来伝承」を紹介している。

例えば、岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)旧中川村日陰には、

「正月十八日に、カネと称して栗の木に小判のような形をした餅を十二個つけた。夜年神様に魚・米・御神酒の供え物をして、次の朝、それをさげて庭に飾ってあるマユッコに、小豆粥にしてあげる。その時、年神様は田の神に変わる」

という伝承が残る。
これは、いわゆる春になると山の神様が田の神に替わるという伝承とおなじように、年神が田の神に交替する、というものだ。


さらに岩手県紫波郡紫波町南日詰には、
春の段階では

旧暦2月9日は年神様がツトメを追える日で、この日から3月16日まで休む。
3月16日は農神おろしで、年神様がおりて農神様となる。
それでこの日は小豆餅か小豆団子を作る。
朝どこよりも早く杵の音をとんとんさせた家に農神様が入ってこられるので、この家の作はよいといいならわされている。(途中一部省略)

また、秋の段階では

旧10月16日は農神あげで、この日農神様が山の神様に替わるので、餅をついて小豆餅と胡桃餅をつくり、山の神おでァる(迎える)といってこれを丼に一杯盛って神棚に供える。
—中略—
旧12月27日に山の神はお年神様になる。それでこの日はお年神のおふだを神棚にはり、サカナをつけたお膳だてをし、酒を供え、これを七日間つづける。そして2月9日には前にいったようにお年神さまはそのツトメを終えるのである。

という伝承が残る。
年神がツトメを終え田の神様(農神)に。秋に農神が山の神に替わり、12月27日に年神に替わり、ツトメを終えるとまた田の神になるのだという。
まさに、前述の「十六団子の日」の習わしを裏付ける伝承が、(特に東北地域に)数々残されているのだ。

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全国で古くから信仰されている“山の神・田の神の去来伝承”に関しては、数多くの学説・仮説があり何かひとつを答えとして示すことはできない。
地方によっては、年神様をご先祖様と考える信仰もあるため、「田の神様はご先祖様」という考え方もできるのかもしれない。

田の神様が何であるかーー。というよりも、稲作の始まりから終わりまで、さらに農作業の途中過程において、それぞれの地域の伝承・風習において迎えられ送られる神様なのだ。

柳田氏の言葉を借りると、田の神は「稲作の豊穣を祈り祭る神。農神」(出典:『民俗学事典』)であることは変わりなく、先祖代々実りへの祈願と感謝を捧げてきた、私たち日本人の信仰心が作り上げたものなのかもしれない。

参考文献:
『田の神・稲の神・年神』岩田書院(1996年)
『山の神と日本人』洋泉社(2006年)
『暮らしのならわし十二か月』飛鳥新社(2014年)

田の神様を勧請する“田歌”の歌い初め「踏歌節会」

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国の重要無形民俗文化財に指定されている「阿蘇の農耕祭事」は、熊本県阿蘇市にある阿蘇神社、ならびに国造神社などで行われる一連の祭りをさす。毎年7月に執り行われる『御田植神幸式』(以下、おんだ祭)では、神輿を担ぐ駕輿丁(かよちょう)たちが歌う田歌が、青田の稲穂を揺らすように阿蘇の大地に響き渡る。この田歌、実は歌うことができる期間が決まっている。旧暦の正月の「踏歌節会(とうかのせちえ)」が歌い初めで、おんだ祭の神事で歌い、その後「柄漏流神事(えもりながししんじ)」で歌い納めされるのだ。今回、阿蘇神社の田歌の歌い初めとなる踏歌節会を見学した。

 

駕輿丁だけが歌える特別な歌

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旧暦1月13日にあたる日の朝、阿蘇神社の拝殿にはおんだ祭の神輿を担ぐ駕輿丁たちが集まっていた。これから、今年初めての田歌を歌うための神事が始まるのだ。祝詞があげられ、代表者による玉串拝礼などが粛々と進み、最後に田歌が歌われる。


ここで歌われるのは「正月殿」。御田歌集を特別に見せてもらうと、その一節に

   ショ グワチ ドノニ マ イル
ホヘ カドノ マツガ タ カイ


と書かれていた。しかし、実際に歌おうとすると

 ウンホーホゝヘヘン へへへゝンヘイ 
 ショ グワチ ドノニ マ イル(正月殿に祭[まい]る)
 ウンホーホゝヘヘン へへへゝンヘイ 
 カドノ マツガ タ カイ(門戸の松が高い)
 (一部出典・参考:本田安次「阿蘇宮の祭歌」『日本古謡集』)

このように、独特の節がつき、信心深い気持ちになるから不思議だ。それもそのはず、田歌は田植えの際に、田の神様の来臨を願うために歌われるもの。まるで田の神様に、今年一年のはじまりの挨拶をするかのようなとても尊い時間だ。


阿蘇神社での歌い初めが終わると、阿蘇神社の宮司である阿蘇家へ向かい同家の座敷で「御所鶏」を歌う。

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   △繁来連(はられ)繁来連と謡へや   △御所の鶏
  御所ハ何所御所(どのごしょ)南の  △御所の庭鶏
  御所の庭鶏音(ね)を出し      △兼(かね)て貢供(ぐぐ)めく
  御所を憚(はばか)り小坪の内で   △謡へ庭鶏
 △は「ホーホゝヘヘンヘイヘイ」
 (一部出典・参考:本田安次「阿蘇宮の祭歌」『日本古謡集』)

歌詞を文字にするとこれだけだが、実際に歌うと独特の節回しで実に30分近く要する。その歌詞を覚えることはもちろん、一文字を歌うのに幾つもの音程があり、3〜4つある節を覚えるということは、とても容易なことではない。
駕輿丁たちは、踏歌節会、おんだ祭にむけて、練習を積み重ねていかなければならない。特に、「頭(かしら)が歌えないと話にならない」と言われ、他の駕輿丁たちが歌わなくなるとか。そのため、駕輿丁のリーダー達は、より一層の練習に励まなければならないのだ。

 

阿蘇神社における踏歌節会の歴史

「踏歌」とは、その字のごとく足を踏み鳴らして歌い舞うもので、中国から伝わった集団歌舞。日本では宮中儀礼として年中行事の正月十六日の踏歌節会となったが、阿蘇神社でもこの行事を採用。この節会で、神人と供僧(ぐそう)と楽所(がくそ)が豊作を祝して踏絵を舞ったとされている。


朝廷での踏歌節会は男踏歌と女踏歌に分かれており、男踏歌は早くに途絶えた。女踏歌は一時途絶えたが江戸時代に再興、幕末まで行われたという。阿蘇神社での節会は中世末に絶えた。

江戸時代半ばの『肥後國誌』によると、「正月13日は福祭」とあり、「権大宮司に大宮司、社家、神人、巫、神子が参列し神楽などを奏した」とある。この席に招待された者達が披露したのが、正月を祝う田歌だった。御田の4基の神輿を担ぐ駕輿丁の頭4人が阿蘇宮の神前で「踏歌節会」と称して田歌の歌い初めを行った。やがて、駕輿丁の頭だけが社前で行っていた田歌の歌い初めを、駕輿丁たち全員が参列するように。また、権大宮司で行われていた福祭は、社家制度の廃止により阿蘇神社の宮司宅に変更され、今日の踏歌節会に至っているとされている。

tautautaizome4▲例年7月28日に阿蘇神社で行われるおんだ祭の神幸行列の様子(国造神社の御田祭は7月26日開催)

現在は駕輿丁だけが歌うが、かつては阿蘇では誰もが歌える身近な歌だったという。おめでたい意味合いの歌詞も多く、阿蘇地域では、結婚式や住宅の棟上げ、還暦や米寿といったお祝いの席でも歌われることがあるそうだ。次に私たちが田歌を聴けるのは、7月に開催されるおんだ祭。おごそかな田歌の響きと長きに渡って伝承されてきた農耕儀礼を、目と耳と心に、焼きつけて欲しい。

参考文献:
『神々と祭の姿 阿蘇神社と国造神社を中心に』一宮町(1998年)

370年の想いを受け継ぐ五穀豊穣の舟歌神事「ホーランエンヤ」

日本各地には豊作を祈願するさまざまな祭りが残っているが、その中でも知る人ぞ知る珍しい祭りがある。「ホーランエンヤ」と呼ばれるこの祭りは、島根県松江市で10年〜12年に一度行われる祭りで、なんと9日間に渡って行われる日本でも珍しい祭事だ。

370noomoi1出典:総務省ホームページ(https://www.chiikinogennki.soumu.go.jp/furusato/digital/detail/id/kyo/7_839

ホーランエンヤは日本三大船神事に数えられる神事で、大規模な船団を繰り出して五穀豊穣を祈願する祭りだ。松江には宍道湖、中海という大きな水瓶があり、そこを繋ぐ大橋川および意宇川(いうがわ)に絢爛豪華な何艘もの船が歌と踊りを披露しながら行き交う。そのホーランエンヤが来たる2019年5月18日から開催されるので、それに先立ちこの祭りにどのような歴史があるのか、また見どころはどこか、などをご紹介しよう。

 

ホーランエンヤの起こりは江戸時代

ホーランエンヤは漢字で書くと「宝来遠弥」もしくは「豊来栄弥」と書くが、これは「城山稲荷神社式年神幸祭」という祭りの行事の一つだ。その起こりは慶安元年(1648年)にまでさかのぼり、当時は出雲国(いずものくに)と呼ばれていた地で大規模な凶作が起こったことに由来する。

当時の松江藩主 松平直政公がこの凶作を鎮める五穀豊穣の祈願を行うため、松江城にある城山稲荷神社からご神体を船に載せ、意宇川の途中にある阿太加夜(あだかや)神社まで運んで祭礼を行ったのが最初だ。その後も10年〜12年周期で定期的に行われる祭りとなり以後370年に渡って続いているが、その伝統は地元の有志によって受け継がれている。

 

ホーランエンヤには「櫂伝馬(かいでんま)踊り」と呼ばれる独特の歌と踊りがあるのだが、それは代々経験者によって後世に語り継がれてきたものだ。ホーランエンヤの継承は、開催期間が長く空くことや、途中戦争や災害などの発生によりこれまでずっと順調だったわけではない。前回開催時の経験者からうまく伝えられるかどうかが問題だったが、それでも熱意ある地元の人々の思いによって現代まで受け継がれてきたのだ。そういった人々の熱意も、この祭りで体感することができるだろう。

 

神様とともに川を往来する9日間

ホーランエンヤは全体で9日に渡って執り行われる祭りで、「渡御祭」、「中日祭」、「還御祭」の3つの行事に分かれる。

370noomoi2出典:総務省ホームページ(https://www.chiikinogennki.soumu.go.jp/furusato/digital/detail/id/kyo/7_839

2019年の日程では「渡御祭」が5月18日(土)、「中日祭」が5月22日(水)、「還御祭」が5月26日(日)で、それぞれの日程で特別な行事が行われる。中日祭は阿太加夜神社境内での7日間の祈祷が行われ、その中日に踊りが奉納される。だがそれより大きな見どころは、渡御祭および還御祭で奉納される、船団による櫂伝馬踊りだ。

櫂伝馬踊りは手漕ぎの船の上で執り行われる歌と踊りの神事で、大橋川沿いの次の5つの地区がそれぞれの地区に代々伝わる櫂伝馬船を繰り出す。これらの地区にはそれぞれ違う踊りと歌が代々伝わっており、順番に流れてくるそれぞれの船がそれぞれの櫂伝馬踊りを披露する。

370noomoi3出典:総務省ホームページ(https://www.chiikinogennki.soumu.go.jp/furusato/digital/detail/id/kyo/7_839

またその5隻の周りには大小様々な100隻以上の船が取り巻き、豪華な大船団を作り上げて大橋川と意宇川を練り歩く。そして観客はその大船団を川のほとりや大橋川にかかる橋の上から見物するのである。

 

櫂伝馬踊りは五船五様

ホーランエンヤの最大の見所、それは何よりも各地区の櫂伝馬踊りの踊り手と歌い手だ。

370noomoi4出典:総務省ホームページ(https://www.chiikinogennki.soumu.go.jp/furusato/digital/detail/id/kyo/7_839

櫂伝馬踊りは昔から各地区の有志によって伝えられてきたもので、その多くは口伝や経験者からの教育で行われてきた。櫂伝馬踊りをメインで踊るのはその地区の小学生や中学生と決められており、ホーランエンヤが開催される数年前から厳しい特訓を重ねて櫂伝馬踊りを体得するのだ。

櫂伝馬踊りという名前の通り船の櫂を持ちながら踊る踊りは勇壮で、各地区の違いを見てみるとよいだろう。また歌も地区ごとに独特で、「ホーランエンヤ」の歌声とともに船に乗る全員が一体となって歌い上げる。この歌もまた代々受け継がれてきたもので、こちらもぜひ聞き比べてみて欲しい。

 

櫂伝馬船は渡御祭で松江市中心部から阿太加夜神社まで1日をかけて移動をし、還御祭でまた戻ってくる。その間松江の中心分は普段の静かな町とはがらっと変わって賑やかになり、ホーランエンヤと前後してさまざまなイベントや催し物も開催される。10年〜12年ごとという他に例を見ないほど長いスパンで行われる祭りなので、10年のうちで最も松江が盛り上がる時期と言ってもよいだろう。長い人生のうちで10回も観ることは出来ないホーランエンヤ。ぜひこの機会に松江に来て、五穀豊穣を願い続け、舞われてきた勇壮な踊りと大船団の往来する姿を堪能してほしい。

 

◆開催日程

日程:2019年は5月18日(土)、22日(水)、26日(日)

ホーランエンヤ2019 公式ホームページ

https://www.ho-ran2019matsue.jp/index.html

 

春の国民的行事のルーツとなる「桜」と「田の神様」とのつながり

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4月に入ると早い地域では桜が満開を迎え、これから開花という地域では春を心待ちにする高揚感で溢れている。4月の和風月名は、「卯月(うづき)」。卯(空木)の花から由来されるとも言われるが、稲の種を植える月であることから「植月(うつき)」、「苗植月(なえうえづき)」から転じたものだという説も。このような説からも分かるように、農事を由来とする名や行事、祭事は数多くある。実は、私たちが毎年行っている「花見」も、農事と結びつきのある行事だったのだ。

 

桜を咲かせたのは田の神様だった!?

公園や桜の名所と呼ばれるような場所などでは、桜の開花とともにいたるところで「花見」と称する宴が行われている。花が咲く木は数有れど、木の下に人が集い宴を開くのは、恐らく桜の木の下だけだろう。なぜ、「桜」なのか。

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桜(サクラ)の語源には諸説あるが、「サ」は、田の神様を意味し「クラ」は神様が座る場所という意味だという一説が。その背景には、「田の神様が桜の花を咲かせて、種をまく時期を私たちに教えてくれている」「田の神様は、桜の開花とともに人里へ降りてきて私たちを見守り、花が散ると帰って行く」という信仰が古くからあったからだ。人々は桜の花が咲くと、田の神様を迎えるために桜の木の下で料理や酒を用意してもてなし、豊作を祈願。そして人々も一緒に料理や酒をいただいていた。それが、今に続くお花見の由来だったのだそう。

 

お花見で見る「花」は、桜だけではなかった

「田の神様」への宴と考えられているほかに、もともとは穢れを祓うために山野へ出掛ける儀式や、豊作を祈るための儀式として山に入り「山の神様」に捧げるお酒などで宴を催していたという起源説もある。こういった行事から、次第に宮中などで“花を愛でながら詩歌を詠む遊び”へと変化。奈良時代以前には、「花」といえば梅だったが、平安時代には桜の人気が高まり、多くの桜をテーマにした和歌が詠まれ「花」といえば桜、といったイメージが定着していくことになったのだ。

庶民にまでお花見の風習が広まったのは、江戸時代。幕府が桜の植樹を奨励したことから桜の名所が増え、また、江戸後期には染井村(現:東京都豊島区駒込)の植木職人がエドヒガンとオオジマザクラを交配させた“ソメイヨシノ”を売り出し、明治以降には学校や公園、河川敷に植えられた。現代ではいちばん良く目にする桜の種類となっている。

 

関東と関西で異なる『桜餅』の生地とカタチ

桜の開花の時期に、よく見かけるのが『桜餅』。あんが入った餅を、塩漬けした桜の葉で包んだもの。ほのかな桜の香りと滋味深い味わいは、春の訪れを感じさせる和菓子だ。

さて、「塩漬けした桜の葉で餅を包む」というとても斬新な方法は意外なきっかけから生まれたという。江戸時代、前述のように徳川家が桜の名所を作ろうと奨励を出していた頃。隅田川沿いの長命寺で門番をしていた山本新六は、春になると桜の葉の掃除に大変苦労していた。なんとか再利用できないかと考えていた時、桜の葉を塩漬けにして、餅巻き販売したところたちまち評判になったという。小麦粉などの生地を焼いた薄い皮に餡を包んだもので、江戸では「長命寺」「長命寺餅」と呼ばれ、関東ではこの時の形が今でも主流となっている。

 

その頃、京には元々道明寺粉(もち米を蒸して乾燥させ、粗挽きしたもの)を使った桜餅が存在していたが、明治に入って関東の桜餅が伝わってくると、椿の葉に代わって桜の葉を使うようになり、関西風桜餅が誕生。「道明寺」「道明寺餅」として親しまれている。

harunokokumin3▲手前左側が関東風の長安寺、右側が関西風の道明寺。出身地域の見た目に慣れていると、そのカタチと食感の違いに最初は驚くかもしれない

もうお花見は済んだという人も、これからという人も、桜を見上げる時には、「もしかしたら田の神様が咲かせてくれたのかもしれない」「この木に神様が座っているのかもしれない」と、想像してみて欲しい。桜の木の下で食べるおにぎりやお弁当、はたまた清酒をはじめとしたお酒もまた、田の神様からの恵みで美味しく食べられているのだ。そんな風に考えると、いつもより一段と桜の花が美しく輝いて見えるかもしれない。

 

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参考文献:

『和のくらし・旧暦入門』洋泉社

『日本の七十二候を楽しむ』東邦出版

参考サイト:

お花見|暮らし歳時記
http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/ohanami/

桜餅|暮らし歳時記
http://www.i-nekko.jp/gyoujishoku/haru/sakuramochi/index.html

全国和菓子協会 | 和菓子ものがたり | 和菓子を知る | 和菓子の由来
https://www.wagashi.or.jp/monogatari/shiru/yurai.php

桜もちの歴史 – 桜の食文化300周年委員会
http://sakura300.sub.jp/history/

土をいじってはいけない日!? 土地の神様を祀る『社日』。

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「立春」や「春分」といった二十四節気や5月5日の端午をはじめとする五節句以外に、季節の節目となる「雑節」。その雑節のひとつ、春分の日、または秋分の日に最も近い戊(つちのえ)の日を『社日(しゃにち)』と言う。今では祝日となっている「春分の日」や「秋分の日」が馴染み深く、社日を知らないという方も多いかもしれない。雑節は日本の気候風土、主に農作業に合わせた季節の目安であり、社日もまた、昔から私たちの生活に欠かせないものなのだ。

 

春は土地の守護神へ豊作を祈り、秋には収穫を感謝する

1年に2回おとずれる『社日』。春の社日は春社(しゅんしゃ・はるしゃ)、秋の社日を秋社(しゅうしゃ・あきしゃ)と言い、春にはその年の五穀豊穣を祈り、秋には稲穂をお供えして収穫に感謝する風習が古くからある。


社日を祝う習慣は中国から来たと言われており、「社」は土・土地の神の意味。日本では古くから自分の土地の神様=産土神(うぶすなかみ)を大切にする文化があったため、社日の風習は広く信仰されることになったそう。

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春分と秋分のそれぞれに近い戊の日を社日と定めていることも、この「土・土地の神」であることが関係している。「戊」の日は五行説に基づく十干(じっかん)のひとつで、これもまた中国から伝来されたものだ。十干とは、万物は木、火、土、金、水の5種類の元素からなるという考えに、それぞれ兄(え)と弟(と)に分けたもの。「戊」は、五行説で「土(兄)」(つちのえ)にあたり、山のように動かない土を意味することから、土の神を祀る日に選ばれたとも言われている。

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このような由来から、社日に土をいじると土地の神の怒りにふれると、土をさわることを避ける風習があり、農作業を休むことも。とはいえ、春の社日は種まきの時期として、秋の社日は収穫の時期として、農業をなりわいとしてきた私たち日本人にとって、とても大事な1日なのだ。

 

地域で異なる土地ごとの神様を祝う行事

上述のような風習から、春の社日には米、麦、豆、粟、稗(ひえ)または黍(きび)の五穀の種を供えて豊作を祈ったり、「地神講」、「社日参り」といった行事が行われる。福岡県の博多では「お潮井」と呼ばれる箱崎浜の真砂を竹かごに入れて持ち帰り、玄関先に下げたり、建物や土地のお祓い、田畑の虫よけとして撒いてお清めしたりという風習も。長野県小県郡では、土地(田)の神様が春に山から里へ降りてきて秋になるとまた山へ帰ると考えられ、社日には餅をついてお祝い。京都府の一部では、朝早くから東にあるお寺や地蔵をお参りして日の出を迎え、その後順を追って南〜西へお参りをして日の入りを見送るというならわしも。産土神様の数だけ、社日を祝い感謝する行事はさまざまだ。

 

雨が降る? 耳がよくなる?『春の社日』にまつわる伝承

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産土神様を祀る行事の他に、春の社日にはさまざまな言い伝えがある。「春の社日にお酒を飲むと、耳の聞こえがよくなる」として、この日に飲むお酒のことを治聾酒(じろうしゅ)と呼ぶ。「春社にお参りをすると中風(脳卒中)にかからない」など、身体に関する伝承も。また、「春の社日にはよく雨が降る」ことが多いことから、この日の雨を社翁(しゃおう)の雨と呼ぶそう。


今年の春の社日のお天気はいかがだろうか。土や空を見ながら産土神様のことを少し意識してみると、自然と密接に関わっていた祖先の気持ちにちょっと寄り添えた気がしてくる。

参考文献・サイト:
『暮らしのならわし十二ヶ月』飛鳥新社
『和のくらし・旧暦入門』洋泉社
暮らし歳時記
http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/zassetsu/shajitsu/

日本文化研究ブログ
https://jpnculture.net/syanichi/

日本文化いろは辞典
http://iroha-japan.net/iroha/A05_zassetsu/04_syanichi.html

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