日本とよく似たオーストラリアのお米、豪州に稲作を伝えた日本人『高須賀穣』物語

takasuka1写真提供:SunRice

オーストラリア在住の筆者は、「オーストラリアのお米は日本のお米に劣らずおいしい」といつも思ってきた。最初はただの偶然だと思っていたが、オーストラリアに稲作を伝えたのが『高須賀穣(たかすかじょう)』という日本人だと知って驚いた。高須賀穣はいったいどのようにオーストラリアで稲作を広めたのか、そして現在のオーストラリアの稲作はどうなっているのか。高須賀穣の軌跡とオーストラリア稲作業の歴史を辿ってみた。

 

まるで日本米!? 異国の地で出会った、ふっくらしっとりのごはん

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日本人が海外に行った時にまず食べたくなるのがごはん(炊飯)。約40年前、筆者がオーストラリアに渡った時もそうだった。ところが、近くのスーパーマーケットに行くとパックに入ったお米が売られている!「パンを主食とするオーストラリアにお米?」と、一瞬自分の目を疑った。しかも日本のお米とよく似ているのである。

東南アジアなどに行ったことがある人はご存知だと思うが、日本以外の国のお米は一般的に米粒が長くて水分が少なく、そのためパサパサとした舌触りがある。ところが、オーストラリアのお米は日本のお米と同じで短めでしっとりとしているのだ。「いったいどうして、ここに日本のようなお米が?」とその頃はただ不思議に思うだけだったが、後に、オーストラリアの稲作はある日本人によって伝えられたものだと知りさらに驚いた。

 

オーストラリア稲作の先駆者・高須賀穣の生い立ち

その日本人の名は、高須賀穣(本名:高須賀伊三郎)。1905年にオーストラリアのメルボルンに一家をあげて移住し、後にシドニー近くのリートンに移ってそこで本格的な稲作を始めた人である。

穣は1865年愛媛県松山市で生まれた。父親は松山藩の料理長で名を高須賀賀平といった。裕福な家庭に生まれ育った穣は、慶応大学に進みその後アメリカに留学して博士号を取得。帰国後の1898年、衆議院選挙に立候補し当選、これをきっかけに政治の世界に入る。ところが、1902年の選挙には立候補していないため、政界への希望を捨て新しい生き方を模索していたことが伺われる。その新しい生き方のために選んだのがオーストラリアだった。その頃穣は、すでに前島イチコと結婚し、長男・明と長女・愛子をもうけていた。

 

オーストラリア移住後の生活

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▲高須賀穣(右)と妻のイチコ 写真提供:SunRice

 

高須賀一家がオーストラリアで移住したのはメルボルンだった。最初は貿易会社を設立し生計を立てていたが、当時オーストラリアは白豪主義を取っていたため、永住権は取れず12か月の滞在許可がもらえただけだった。不安定な生活が続いたが、そのうちにオーストラリアで稲作を始めることを思いつく。

実験的な稲作を行うために、ビクトリア州政府(州都メルボルン)から5年間土地を借り受けた。ところがその土地は毎年洪水に見舞わる地域にあったため、穣は日本から応援に駆け付けた父・賀平の助けを借りて3kmに渡る堤防を作り洪水に対処した。この堤防は今でもその跡を残している。苦労の多かった稲作の実験だったが、結果的には日本から取り寄せた25種の内“タカスカ” (“ジャポニカ”とも呼ばれている)の名前でまとめられている3種類の種から、ある程度の収穫を収めることができた。

そのニュースは近隣の農家にも伝わり、これらのお米の種を求める人が穣の元にやってくるようになった。ただ、その頃もビクトリア州政府はそれほど協力的ではなく、穣は苦難を強いられていた。

 

ニューサウスウェールズ州で花開いた稲作

takasuka4 s写真提供:SunRice

ところが、良いことは起こるものである。隣の州であるニューサウスウェールズ州が、穣の稲作に関心を示すようになったのだ。穣一家はリートンに移り、そこで正式な稲作の実験を始めることになる。品種“タカスカ”も好成績を上げていたが、最終的にはアメリカのカリフォルニア州から取り寄せた“カロロ”種(日本から渡ったジャポニカの種にアメリカのインディカ種を交配したもの)のが商業化されることになり、ここからリートンでの稲作が本格的に始まった。

現在オーストラリアで生産されている80%のお米はジャポニカである。穣が伝えた稲作技術はオーストラリアの稲作業の基礎を築いたとして、彼の偉業はオーストラリアで広く認められている。2014年には、オーストラリアの米協会が毎年開く定例会議で、穣の子孫に対し敬意の念を示している。

 

takasuka5写真提供:SunRice

 

穣がリートンで始めた稲作は、今では、オーストラリアで最も大きな米会社である『サンライス(SunRice)』に受け継がれている。近年、サンライスは、日本語の字幕入りで穣とオーストラリアの稲作業界に関するドキュメンタリーを制作。現在正式な公開が待たれている。

海外に渡って生活することがまだまだ珍しかった明治時代に、果敢にオーストラリアに渡り困難と苦労の末に稲作の基礎を築いた高須賀穣。その勇気と努力には頭が下がる思いである。オーストラリアで炊き上げたごはんを口にするたびに、日本に思いを馳せるのは筆者だけではないだろう。

 

参考サイト:

SunRice

https://sunricesushi.com/our-heritage/
http://www.sunricejapan.jp/takasuka.html

100 Years of Australian Rice commemorative Booklet
https://www.dropbox.com/s/a02280lyfhig7p0/100%20years%20of%20rice_FINAL_low%20res.pdf?dl=0

Jo Takasuka pioneer rice farmer
https://jt1865.wpblog.jp/

 

文:Setsuko Truong
オーストラリア、メルボルン在住のライター。オーストラリアにいる日本人向け新聞への執筆のほか、趣味の旅行や海外生活の体験を活かして、観光や異文化比較、ライフスタイルなどについての執筆を行っている。

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