お米農家なら知っておきたい!多くの品種を作り出した『交雑育種法』

 

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偶然と自然の力を借り、長い時間と手間をかけて新品種を生み出す分離育種法は、各地でたくさんの重要な品種を生み出した。しかし、形質が固定された品種は劇的な突然変異でも起こらない限り、それ以上の新しい品種が生み出されない。より良い品種を求めて次に開発されたのが、形質の異なるイネ同士を掛け合わせる交雑育種法である。

 

イネの受粉システム

お米農家の皆さんはご承知のことと思うが、イネは自家受粉をする植物だ。自分の雌しべ(胚珠)と自分の雄しべ(花粉)で交配し、実をつける。モミが開花するのは天気の良い日の午前中、わずか数時間である。わずかにモミが開くとすぐに雄しべから花粉が雌しべへ降り注ぎ、あっという間に受粉が完了する。

このシステムは風や虫が他の個体の花粉を持ってきてくれるのを待つ必要もなく、確実に実を付けることができる効率的な機構だ。イネをただ育てるだけならば構わないのだが、これは異なる品種のイネ同士を交雑させようとすると大きな問題になる。開花してから雄しべを除去しても間に合わず、自家受粉が済んでしまうのだ。交雑育種が日本で始まったころは、開花前のモミに穴をあけ、まだ花粉を付けていない雄しべを1本ずつ取り除くという気の遠くなるような作業が行われていた。

昭和に入ると、イネの花粉と胚珠の耐熱性の違いを利用した『温湯除雄法』が開発された。花粉は胚珠よりも熱に弱く、お湯につけると受粉させることができなくなってしまう。雌しべを使いたいイネの穂を43度のお湯に数分つけることで、花粉だけをダメにしてしまうのだ。

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根気強く行う人工交雑の流れ

交雑育種法によって新しい品種を作ろうとする場合、まず初めに考えなければいけないのは交雑の組み合わせである。一般的に、既存の品種の欠点を補うような掛け合わせを考えることが多い。例えば、『寒さに強く、味もよいが、病気に弱い』という品種があった場合は、耐病性のある品種と掛け合わせ、病気にも強いという新たな形質を持たせることを目標にする。交雑させる2種類のイネを確認したら、それらの株が同じ時期に花をつけるよう計算して栽培を行う。片方が受粉の準備万全なのに、もう一方が未熟では話にならない。早生品種と晩生品種を掛け合わせる場合は播種時期から調節する。

交雑を行う日、花粉を使う(父親にする)イネは開花した状態にしておく。胚珠を使う(母親にする)イネには温湯除雄処理を行い、花粉を無効にしてしまうとともにモミを開かせる。手作業で一つ一つ花粉をふりかけ、受粉は完了する。実ったら採取し、それを種として次世代を育て、目的とした形質を持ったイネができているかどうかを確認する。交雑が成功していそうな個体を選抜し、その後何世代か育て続けることで形質を固定させなければならない。試験栽培中に導入できたと思っていた形質がなくなってしまうこともある。

新しく作った品種が期待されるものであるか、生育に問題がないのか、実用に供するものであるかは長い時間をかけた試験栽培で初めてわかる。一つの品種ができるまで10年以上かかることもあるのだ。

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日本における交雑育種法の歴史

明治36年、日本で本格的な交雑育種法によるイネの品種改良が始まった。加藤茂苞(しげもと)をはじめとする技術者たちにより、初めて人工交雑によって生み出された品種が、国立農事試験場陸羽支場で育成された“陸羽132号”である。技術や情報の蓄積で各試験場で続々と新品種がつくられるようになり、現在も流通する品種の多くがこの方法によって生み出された。“コシヒカリ”は、品質と味に定評のあった“農林1号”と、いもち病に強いという特徴があった“農林22号”の交雑によって誕生した。

数々の有名品種を生み出した交雑育種法であるがその成功率は低く、1つの品種ができるまでには数多くの掛け合わせの失敗があるという。温室栽培などで栽培時間の短縮ができるようになった現在でも、新品種誕生には多くの労力が必要であることを忘れてはいけない。

 

参考文献:
新潟県農業総合研究所 https://www.ari.pref.niigata.jp/kids/
農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1111/spe1_01.html
『コシヒカリ物語』酒井義昭著、中公新書

 

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

品種改良の始まりであった『分離育種法』とは?その方法と歴史を知る

 

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縄文時代の後半に狩猟生活から農耕生活への移行が始まり、わが国でも海の外から渡来した稲作が行われるようになった。増えゆく人口を支え、時に富の象徴となったお米。稲作に限らず作物を作り出すうえで最も重要だったのは『いかにたくさんの収穫を得られるか』である。たくさん実がつき、病気になりにくく、熱さや寒さに強いイネを育てるために昔から行われてきたのが分離育種法という品種改良だ。

 

イネのエリートから優良な子孫を育成

作物を育てていると、ごく稀にそれまでと異なる特徴を持つ個体が現れることがある。DNAの突然変異や、他個体との交雑によって生じる遺伝子の変化が原因だ。それまでの個体よりも寒さに強いものや、病気に強いもの、背の高いものなど、どんな変化がみられるかは予想ができない。逆にそれまでの個体よりも弱いものが現れることもある。遺伝学ではこれらのような、その個体の性質や形態の特徴をまとめて『形質』と呼んでいる。

分離育種法とは、『集団の中から優良な形質を持った個体を選び出し、育成する方法』である。単純なようであるが、実は大変手間のかかる育種法だ。育てている集団の中に出現した優良な形質をもつ個体を選び、それを親として次世代を栽培する。この子ども世代の全個体が親と同じ形質を示してくれればよいのだが、残念ながらそう簡単にはいかない。期待された形質を持つ個体と持たない個体が育つのである。

この集団から親の優良形質を受け継いだ個体を選抜し、次の世代(はじめから数えれば孫の世代)を育成する。やはり一部の個体は優良な形質を受け継がないが、全世代よりは多くの割合で優良形質の個体が現れる。この世代からまた優良形質を受け継いだ個体を選抜し育成して……を何度も繰り返すと、数世代後にはすべての個体が目的とした形質を示すようになり、期待された形質を持たない個体は現れなくなる。これを『形質が固定された』状態という。

こうして、それまでのイネになかった形質を持つ『新品種』が誕生する。良い形質の個体が現れる偶然を待ち、それを選抜して何年も育て続ける……運と時間の必要な育種方法だということがわかるだろう。


次世代を育てれば、すべての個体が親と同じ形質を示すようになった個体群を『純系』というため、分離育成法は『純系分離法』と呼ばれることもある。皆さんが作物の種を手に入れたとき、それを蒔けば必ず同じような形・色・味の個体が収穫できるはずだ。それはつまり、その作物品種の形質が固定され、純系になっているということに他ならない。

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悠久の歴史を持つ品種改良のルーツ

人が「良い個体を育て続けると形質が安定する」ということに気づく以前から、この方法で作物の品種を少しずつ改良してきたのが『自然』である。極端に気温の低い年があれば、寒さに強いイネしか生き残らない。それが何年も続けば、耐寒性のあるイネ以外は自然に淘汰される。その土地に育つイネには『寒さに強い』という形質が固定されていった。

全国で稲作が行われるようになると、それぞれの土地でその環境にあった形質のイネが育つようになる。遺伝という現象が未解明の時代であっても、経験的に良い個体を選んで育てる農家が現れ、各地で多様な品種が人為的に作り出されるようになっていった。1865年にメンデルが遺伝の法則を発見するも、世間に認められず埋没。1890年代に再評価がなされ、1903年にデンマークのヨハンセンが『純系説』を発表した。これは「集団が純系であれば、その子孫は親と同じ形質を示す」という説であり、これこそ分離育種法の科学的根拠となった。時代が下ると米の人工交配法が確立されるなど、必要な形質を持ったイネを生み出す技術が発展し、分離育種法による開発は減っていく。良い形質を持った個体の出現を待つのではなく、既存の品種同士を組み合わせることで意図した形質の品種を生み出すようになっていくのである。


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分離育種法によって生み出された品種たち

分離育種法は時間と手間がかかる方法だが、それらを惜しまなければ一般の農家でも行うことができた。明治の中頃に国立農業試験場が設立され、全国のイネの研究が体形的に行われるようになる以前は、各地の農家が自主的に育種を行っていたのである。中でも後世の稲作に大きな影響を及ぼしたのが“愛国”、“旭”、“亀の尾”、“神力”といった品種だ。これらの品種をベースにして、現在のお米の品種が開発されていった。
今でも“愛国”や“亀の尾”は酒米としても使われており、『在来種』や『幻の米』といったキャッチコピーで販売されていることもある。もしお米屋さんで見かけることがあったら、先人たちの苦労が詰まった品種であることを思い出してほしい。

 

参考文献:『原料米育種の現状と将来への展望』四方田淳・鳥山伸一(1993年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/88/10/88_10_750/_pdf

 

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

高値が付くにも関わらず生産量は米全体の1%。なぜ酒造好適米は希少なのか?

 

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日本酒はお米から造られているが、食べて美味しいお米と、美味しい日本酒造りに向くお米では求められる性質が異なる。具体的に何がどう違うのか、簡単に説明してみよう。

 

酒造りに向くお米は、食用のお米とどこが違う?

日本酒造りに向くお米を酒造好適米と言う。有名な“山田錦”、“五百万石”、“雄町”、“美山錦”などを含め100種類以上もあり、今も各地で新たな品種が開発されている。

酒造好適米と食用米との性質の違いとしては、主に次の5つが挙げられる。

①大粒である
お米の外側にあるタンパク質や脂質は酒の味を損ねるため、酒造りにおける精米工程では外側を30%以上、大吟醸だと50%以上も削り落とす。主に高速回転する超硬度ロールに米粒を押し付ける方法で削ぎ落していくのだが、60%で1日、50%で2日、40%なら3日もかけて精米するため、摩擦熱でお米が割れやすくなる。そのため、割れにくく扱いやすい大粒米の方が、酒造りには向いているのである。

 

②中心に白くて不透明な部分(心白)がある
お米の中心部は、酒造りに欠かせないでんぷん質でできている。そのでんぷん質にすき間ができて、乳白色に見えるのが「心白(しんぱく)」と呼ばれる部分だ。心白があるお米は麹菌が内側へと入り込みやすく、でんぷん質の糖化が進んでアルコール発酵を促すため、酒造りには最適である。ただしお米の組織にすき間がある分、パサついて旨みが少ないため、食用には向いていない。

 

③タンパク質と脂質が少ない
タンパク質は麹の酵素で分解されるとアミノ酸になり、酒に雑味をもたらす。また、脂質は香り成分が立ち上る際の妨げとなるため、あらかじめこれらの成分が少ないお米の方が、酒造りには向いている。

④吸水率が良い
吸水が早く、かつ吸水量が多いお米ほど、発酵がスムーズに進むため酒造りには向いている。

 

⑤蒸すと「外硬内軟」の状態になる
米粒の外側が硬く内側がふっくらと柔らかい状態で蒸しあがったお米は、麹菌が米の内側へどんどん伸びて繁殖してくれるため、酒造りに向いている。

 

食用米よりも栽培が難しい、酒造好適米

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酒造好適米は、一般的な食用米よりも5割以上の高値で取引されている。しかしそれでも、酒造好適米の生産量は日本の米全体の1%に過ぎない。高値で売れるにも関わらず、生産する農家が少ないのはなぜか。理由としては、食用米の栽培よりも技術的・条件的なハードルが高いことが挙げられる。例えば代表的な食用米の“コシヒカリ”や“ササニシキ”は、稲穂の背丈は120〜130cm程度だが、“山田錦”はそれより約30cmも高い150cmに達する。おまけに一粒一粒が大きくて重いため台風などで倒れやすく、また病気や害虫に弱い品種が多いので、栽培には高度な技術が求められるのだ。

さらに、“山田錦”に代表される良質な酒造好適米の栽培には、下記の3つの条件が必要になる:

①朝晩の寒暖差が大きい場所であること
米粒内部の温度差が大きくなるほど、心白の発現率が増大するため。


②養分を豊富に含んでいる土壌であること
背が高く粒の大きいお米を育てるには、通常の稲作以上に養分が必要なため。


③苗の間隔を通常の2倍近く空けられること
日当たりと通気性を良くするのと、害虫の被害を抑えるため。


こうした条件に見合う場所は自ずと山間部が中心となり、農機具が入りづらい場所となるため、どうしても人力で稲の刈り入れを行う必要がある。その結果大量に栽培することが難しくなる上、そもそも栽培する農家の数も少ないことから、希少性が高まって高値がつくことになる訳だ。


shuzoukou3旨い酒造りのために良質な原料を求める蔵元にとって、酒造好適米を作ってくれる農家の少なさと、値段の高さは頭の痛い問題だ。このため安価な日本酒(普通酒)については、食用米で醸造されたものが多くを占めている。
ただその一方で、各都道府県の酒造組合が中心となり、地元の気候風土でも栽培できるよう酒造好適米の品種改良を進めたり、特殊な酵母と組み合わせた食用米で旨い酒を造る技術を磨いたりと、日本酒の世界にも新たな動きが広がりつつある。
日本酒を嗜む際、酒造好適米を栽培する農家の人知れない苦労や、優れた技術にもぜひ思いを馳せてみてほしい。きっとこれまでとは違った味わい方、楽しみ方につながることだろう。

バイオテクノロジーっていったい何?知っておきたいバイテクの基本と稲作の関係

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『バイオテクノロジー』と聞くと、皆さんはどんなものを思い浮かべるだろうか?白衣の科学者が蛍光灯の下、薬剤や細菌を駆使して…というイメージを持つ方も少なくないだろう。実は、バイオテクノロジーは遺伝子や細胞といったものを扱う技術だけではない。昔から行われている品種改良法も、立派なバイオテクノロジーの一種なのだ。
この記事ではバイオテクノロジーの概観と、稲作で使われるバイオテクノロジーを簡単にご紹介する。

 

そもそもバイオテクノロジーとは?

バイオテクノロジーは「Bio(生物)+Technology(技術)」からつくられた言葉だ。日本語では「生物工学」などと訳され、最近では「バイテク」と略されたりもする。あらゆる生物の仕組みや機能、生活を応用する技術を指すが、その方法は必ずしも「最新のもの」だけではない。古代より微生物を使って行われる食材の「発酵」や、薬草などの有効成分を医療に活用することも立派なバイオテクノロジーだ。多くの人のイメージにある、白衣と実験室のイメージはバイオテクノロジーの全体ではないことに注意したい。バイオテクノロジーは大きく1960年代ごろまでに成立した「オールドバイオテクノロジー」と1970年代はじめから盛んになった「ニューバイオテクノロジー」に分けられる。

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◆オールドバイオテクノロジー
食物の栽培が始まってから、人間は少しでも「効率的に・たくさん・おいしい」作物を作るための工夫を続けてきた。育った作物の中から「できるだけ大きな実をつけるもの」「病気に強いもの」「たくさんの実がつくもの」などを選び出し、その子孫を育て続けることで新たな品種を作り出した。単純なようだが、育種学では『分離育種法』といい、さまざまな農作物品種を作り出す礎となった方法だ。そのうち、自然にできた作物から優良なものを選ぶだけでなく、必要な性質を持ったものを人為的に交配させることでより効率的に新しい品種を生み出すようになる。例えば「美味しいけど病気に弱い個体」と「美味しくないけど病気に強い個体」を掛け合わせることで、「美味しくて病気に強い個体」を手に入れるという方法である。『交雑育種法』とよばれ、現在でも品種改良はこの方法で行われることが多い。
また、放射線の発見や化学薬品の製造が始まると、生物をそれらにさらすことで変わった性質を生み出すことができるようになった。突然変異を人工的に起こす方法である。これらの方法による品種改良は時間と場所が豊富になければできない。どんな形質の子どもができるか、交雑がうまくいったかは、何世代も育ててみないとはっきりしないからだ。

 

◆ニューバイオテクノロジー
20世紀に入ると、DNAや遺伝子の仕組みが少しずつ解明され、生物学の様相は劇的に変化した。1970年代になると遺伝子や細胞レベルでの品種改良技術が次々と誕生する。遺伝子組み換えはニューバイオテクノロジーの代表である。顕微鏡や分析機器などの実験器具が進歩することで、細胞レベルで生物を操作することも可能になった。加えて細胞融合や葯培養といった技術が成立し、「必要な遺伝子」「必要な細胞」を選んで用いるようになったのである。これらの技術を用いた品種改良は、時間と場所の節約に成功した。世界には食糧不足や気候変動など、待ったなしの問題が生じている。効率的に有用な品種を作るにはニューバイオテクノロジーは欠かすことのできないツールだ。

 

イネとバイオテクノロジー

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それでは、稲作や稲の品種改良ではどのようなバイオテクノロジーが使われているのだろうか?もともと日本の稲作の過程では、分離育種法によりそれぞれの地域で少しずつ品種の成立が行われてきた。変わったイネができたらその種(モミ)を採取し、翌年栽培すればよいので個人レベルでも経験則で行うことができた。1900年代に入ると掛け合わせの技術が確立され、交雑育種法で新品種がつくられるようになった。1934年には放射線の照射によってイネが突然変異を起こすことが分かり、戦後も積極的に研究がすすめられ、現在流通している多くの品種を生み出すことになった。1960年代にはイネの葯培養の技術が開発された。これはイネの雄しべが持つ花粉を特別な条件で培養し、成長させる技術だ。そして1980年代、さまざまな農作物で遺伝子の組み換えをした新品種が生み出されるようになると、イネでも遺伝子組み換えによる新品種が誕生し始める。一方でイネのDNAを解読するプロジェクトも発足し、2004年にはDNAの塩基配列が明らかになった。遺伝子に基づく品種改良を行うのであれば、欠かせない情報が集まってきている。

イネの研究ではオールドバイオテクノロジーとニューバイオテクノロジーの両方が応用され、日々新しいイネの開発に寄与しているのだ。バイオテクノロジーは身近なものであるということをぜひ知っていただきたい。

参考文献:
農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1111/spe1_01.html
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/pdf/0686.pdf
「育種とバイオサイエンス 育種学の新しい流れ」蓬原雄三編著(養賢堂)
「新版 米の時点‐稲作からゲノムまで」石谷孝佑編(幸書房)

 

ライター名:小野塚 游(オノヅカ ユウ)

プロフィール:”コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

お米を育てるだけじゃない! 田んぼの驚異のメカニズム

毎年4月になると、さまざまな場所で水を湛えた田んぼを目にします。イネが日本に伝えられた2000年以上前から、イネは水田で栽培されていました。高温で雨の多い日本の気候に適していた水田稲作は、数百年のうちに、日本全国に広がり、米が日本人の主食となったのです。この田んぼ、ただお米を育てるためだけではなく、私たちの生活をいろいろな所から支えてくれているのです。

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