高温によるお米の登熟障害。イネの中で何が起きているのか?

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日本を含め、世界各地の気候変化がはげしい。『異常気象』、『これまでにない○○』『記録的な○○』といった言葉をニュースで聴く機会も増え、作物の生育状況を心配する農家も少なくないであろう。中でもとりわけ気になるのが、平均気温の上昇に伴う夏場の異常な高温である。今回はお米の品質に多大な影響を与える高温障害を取り上げる。高温下の米粒の中では何が起きているのか、細胞や遺伝子のレベルで考えてみよう。

 

白濁したお米の内部には隙間が……

高温によりお米の粒が白濁するなど、品質が低下する現象は「高温登熟障害」とよばれる。イネの米粒が完成するまでの期間、とくに出穂後20日間に高温にさらされると顕著な影響が現れる。

米粒の白濁した部分は、本来ぎっしりと詰まっているデンプンが少なく、隙間ができてしまっている状態だ。細かくひび割れたガラスが白く見えるのと同じようなものである。白濁の部分や割合によって『乳白粒』や『心白粒』、『背白粒』などとよばれる。このような状態になったお米は見た目が悪いだけでなく、食味や食感も不良になりやすく、内部に空間があることから割れやすいという欠点もある。

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高温に長くさらされた米粒ではデンプンの分解が起きる

それでは、なぜ高温下でデンプンの充填がうまくいかなくなるのだろうか? 2012年、農研機構は新潟大学および理化学研究所との共同研究の結果を発表した最下部参考資料1を参照。この研究では、登熟期に高温にさらされた時にお米の細胞内、ひいては遺伝子に何が起きているのかを解明することを目指した。その結果、高温にさらされたイネではデンプンを合成する遺伝子の発現が低下するとともに、デンプンを分解する酵素をコードしている遺伝子の発現が上昇することが分かったのだ。

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デンプンの分解に関与する遺伝子は『α-アミラーゼ遺伝子』とよばれる。イネのゲノムには8つのα-アミラーゼ遺伝子が存在するが、高温下(33℃明期12時間/28℃明期12時間)で登熟させたイネでは、8つ中のうち5つのα-アミラーゼ遺伝子で発現が上昇していた。通常であれば、α-アミラーゼ遺伝子はイネの中に含まれるアブシジン酸という植物ホルモンによって抑制されているが、高温ではアブシジン酸の量が半分以下に低下するという結果も得られた。また、つくられたデンプン分解酵素アミラーゼは高温下でより活性化される。すなわち、『高温ではデンプンがつくられにくく、すでにあるデンプンも分解されてしまい、なおかつ高温ほど分解は促進される』ということだ。この結果、米粒には白濁が見られるようになる。

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研究チームは、実際にα-アミラーゼ遺伝子のはたらきを低下させた変異体も作成した。この変異体を高温条件下(こちらは31℃明期12時間/26℃明期12時間)で育てたところ、α-アミラーゼ遺伝子が正常な個体よりも白濁した米粒が少なくなったのだ。この結果により、α-アミラーゼ遺伝子の発現が高温による白濁を引き起こすのに重大な役割を果たしていることが明確になった。

 

α-アミラーゼ遺伝子に注目した新品種開発

研究の成果は今後の新品種開発に大きな影響を与える。例えばたくさんの突然変異個体や交雑個体を育てた時、幼いイネであってもDNAを抽出してα-アミラーゼ遺伝子に変異が起きているか否かを調べれば、その個体が高温への耐性を備えているかどうかを判別できる。何千何百という個体の成長を待ち、出穂を待ってから高温にさらす実験などをする手間を軽減できるだろう。また、遺伝子組み換えやゲノム編集でα-アミラーゼ遺伝子を変異させ、人工的に遺伝子の発現をコントロールしたような品種も出てくるかもしれない。

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2018年夏の異常な高温は、多くの農家を窮地に追いやった。気象の急激な変化は増え続けると考えられている時代だからこそ、さまざまな耐性をもった新品種の開発が急ピッチで進められている。高温に強い優良な品種が得られれば、日本のみならず水不足に悩む外国でも生産性の向上に一役買えるだろう。

 

参考資料:

1.http://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/press/laboratory/narc/043839.html

2.https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/j.1467-7652.2012.00741.x

3.http://www.naro.affrc.go.jp/org/tarc/seika/jyouhou/H22/suitou/H22suitou025.html

 

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

見た目の変化だけではない!品種改良に求められるイネの『性質』

イネの品種改良では、形や色といった見た目の変化だけでなく、一見しただけではわからない『性質』の変化も重要である。本記事では品種改良で注目されるイネの性質をご紹介したい。すべてではないが、どんな点に重きを置いて品種改良がなされるのかを見てみよう。

特に、これからお米農家を始めようという方には『イネの形態』と合わせてぜひご一読いただきたい。

 

病気に対する抵抗性は最重要課題の一つ

◆耐病性
イネの病気に対する抵抗性は、収量を上げるためにも特に重要である。国内で伝統的に行われてきた品種改良では、病気にかかりにくいイネが偶然得られても、その個体の中でどんな変化があって耐病性を会得したのかが分からなかった。

細胞レベル・分子レベルでの生命現象が明らかになってきたことで、それそれの病気に対してどのような防御機構が働き耐病性へとつながるのかが分かってきたのは、ごく最近のことである。

代表的なイネの病気には、いもち病やごま葉枯病、縞葉枯病、白葉枯病などがあるが、いずれも原因はカビやウイルスだ。品種によってそれぞれの病気へのかかりやすさに差があり、耐病性の低いイネに対しては農薬散布などで病気を抑えてきた。イネのゲノム研究が進み、耐病性に関わる遺伝子が特定されるようになると、遺伝子の働きを調節することで耐病性の高いイネ品種がつくられるようになった。

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具体例を挙げよう。イネの耐病性に大きく関わっていることが判明した遺伝子にWRKY45がある。この遺伝子はイネが病気にかかると、その病気に抵抗するための遺伝子を働かせる、いわば『遺伝子のスイッチ』のような存在だ。

このような遺伝子を転写因子という。WRKY45は数百の耐病性に関わる遺伝子にとっての転写因子になっていることが判明した。このWRKY45を通常よりも強く発現させたイネは強い耐病性を示す。まずは飼料用品種への導入といった実用化が検討されている。
(最下部参考文献1を参照)

 

虫、寒さ、塩分…...稲が耐えなければならない多様なストレス

◆耐虫性
地球温暖化による農業への影響が心配されていることは言うまでもないが、イネにおいては気候の変動による新たな害虫の進出も脅威の1つである。これまで日本にいなかった熱帯性の虫がやって来ると、それらに抵抗性のない既存品種が大きな被害を被ることは想像に難くない。

とくにウンカやヨコバイといった吸汁性の虫は様々な病気をイネにもたらす。これらに対処するため、イネの耐病性はもちろんのこと、虫に食われにくい耐虫性の品種をつくることも急がれている。

イネのもつ耐虫性に関する遺伝子も次々と明らかになっている。実際にイネゲノム研究の成果を下地としてつくられた耐虫性品種には“はるもに”などがある。“はるもに”はウンカ類への高い抵抗性のほか複数の病気への抵抗性も合わせもつ。
(最下部参考文献2を参照)

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◆様々な環境ストレスに対する抵抗性

もともと熱帯性の植物であるイネ。南北に長い日本で栽培が始まりその需要が高まると、より北の大地でイネを栽培する必要が生じ、品種の耐寒性は大きな関心事となった。まれに訪れる冷夏などの異常気象が稲作に壊滅的被害をもたらすのはご存知の通りだ。東北や北海道で利用される品種には、耐寒性が備わったものが多い。

また特に収量が求められる外国では、耐塩性や耐酸性など、土壌の様々な成分に適応できるようなイネ品種も必要とされている。

 

消費者にとって重要なのはお米の味

◆お米の品質・味
見た目で分からないイネの変化で、最も消費者が気にするのはお米の味や食感であろう。甘みやお米の味がしっかりと感じられる品種や、お米の味自体には主張がなく合わせるおかずを引き立てる品種。粘りの強弱。炊いたときに硬いお米、柔らかいお米……。食糧不足でとにかく生産量が重要だった時代も終わり、現代では消費者の多様なニーズに応える必要がある。

味覚は基本的に主観的なものだが、客観的にお米の味を判断する材料の一つに『食味試験』がある。これは一般財団法人日本穀物検定協会が毎年行っている試験で、基準米と検査対象のお米を比較し、ランク付けを行うものだ。

求められるお米の味は時流によっても多様に変化することから、新しい食味を持ったイネの新品種開発も日々行われている。また、お米に含まれる特定の成分をコントロールした品種も登場している。

すでに広まっているのが、アミロースの含有量が少ないお米のとれる『低アミロース米』だ。お米粒に含まれるでんぷんにはアミロースとアミロペクチンの2種類があり、アミロペクチンが多いほど粘りが強くなる。低アミロース米は相対的にアミロペクチンの量が多く、もちもちとした食感になる。“ゆめぴりか”や“ミルキークイーン”が代表品種だ。
逆に、アミロースの多い『高アミロース米』もある。粘りが少ないため、チャーハンやピラフなどの料理に向いたお米がとれる。
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時代や環境によって求められるイネの形質は大きく異なる。すでに特定の品種をつくっている稲作農家の皆さんにも、イネには実に多様な品種が存在することを知ってほしい。


参考文献:
1.http://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/seika/nias/h19/nias02003.html
2.http://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/press/laboratory/karc/016898.html
3.『イネの育種学』蓬原雄三(東京大学出版会)

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

大きさ、色、形……品種改良でチェックされるイネの様々な『かたち』

 

日本では長きにわたり様々な方法で品種改良が繰り返され、毎年数々の新品種がつくられているが、皆さんは自分が育てている品種以外のイネをまじまじと見たことがあるだろうか? 新品種を生み出すうえで、技術者はイネのどのような形や性質に注目しているのかを知れば、自分のイネや他地域のイネ、新品種のイネを観察するときの参考になるはずだ。とくにこれからお米農家を目指す人には、イネの形の見方をぜひ知っておいてほしい。

 

草丈(稈長)を抑えることで安定した収穫のできる品種をつくる

◆草丈(稈長)
イネの品種改良で長い間注目されてきた形質が、この草丈(稈長)である。実際に栽培していくうえでも、気にすることが多いポイントであろう。稈長が高くなることは、イネの倒れやすさ(倒伏性)に直結する。倒伏した稲は生長が正常に進まず、病気になる可能性が高くなるため、かなり古い時代からイネの草丈を抑えるような方向で選択が進んできた。

正常な個体の半分以下にしかならないものを矮性(わいせい)、正常個体と矮性品種の中間程度の草丈になるものを半矮性と呼ぶことが多い。日本で作付けされている品種のほとんどが半矮性品種だという。

矮性化は主に、節と節の間である節間が短くなることで生じる。節間の伸長に影響を与えるのは、植物ホルモンの一種であるジベレリンだ。植物の生長を促すジベレリンの分泌が低下すると、節間の伸長が進まなくなる。イネにおいて、ジベレリン分泌はいくつかの遺伝子によってコントロールされていることが分かっており、それらは半矮性遺伝子と呼ばれる。現在は遺伝子やゲノムを操る技術の出現により、それらの遺伝子の一部を人為的に動かなくさせることで、意図した半矮性品種を作り出すことが可能になっている。

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半矮性遺伝子の1つであるsd1が壊れ、半矮性となった品種“IR8”(フィリピンの国際イネ研究所で作成)は、それまでフィリピンで作られていたイネよりもずっと倒れにくく、お米の収量を劇的にアップさせた。アジアの食糧危機が深刻になっていた1960年ごろのことで、“IR8”は『ミラクルライス』とまでよばれるようになったのだ。

しかし、ジベレリンの分泌を抑えすぎると、今度は実の生長にまで影響が出る。収量の低下や品質への影響がでない程度で、稈長を抑えた品種が必要となる。

 

茎や葉の姿かたちにも注目する

◆茎(稈)の強さ
倒伏しにくいイネをつくるには半矮性化だけではなく、『稈を強くする』という方法もある。稈の強度を高めるには、稈の表層の細胞や維管束の細胞を発達させたり、細胞の数を増やして稈を太くするなどの方法が考えられる。2016年には“コシヒカリ”をベースとし、イネのゲノムのどのあたりに稈の太さを調節する遺伝子があるかが調べられた。

国内作付面積1位(2018年6月現在)の“コシヒカリ”は食味に優れる一方、倒伏性が高いことでも知られている。稈をつくる皮層の細胞自体は比較的大きく発達しているのだが、稈の直径が細い傾向にあるのだ。今後、地球温暖化で巨大台風でも発生すれば、日本の作付面積の3割ほどのイネが倒伏してしまう恐れがある。そうなれば、日本は新たな食糧危機に襲われかねない。そこで、稈を太くする遺伝子を“コシヒカリ”に導入し、コシヒカリ特有の大きな皮層の細胞を保存しつつも稈が太い“コシヒカリ”をつくる、という研究も行われている(東京農工大学大学院と農研機構の共同研究、参考文献を参照)。

 

◆葉や穂の色
ほとんどのお米農家は食用のおいしいお米を目指して栽培しているが、一部では葉や穂に色のついた品種が求められる。いわゆる観賞用の品種であり、これらが最も活躍するのはいわゆる『田んぼアート』などの場面であろう。
具体的には、葉が赤い“べにあそび”や葉が白い“ゆきあそび”、穂が紫色をする“紫穂波”などがある。

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お米の量や見た目も大切

◆お米粒のつく量、形や見た目
戦後の食糧不足のころは、とにかくたくさん実をつける米が重要視された。穂の数が多く、穂につく実も多い品種が求められる傾向にあった。しかし食糧事情が回復すると一転、今度はお米の味や見た目に注目した品種が必要とされる。

ただし、飼料用米であれば今も昔も、どれだけたくさん採れるかが重要なポイントだ。時代背景や目的によって品種改良の方向性も変わってくるのである。最終的に消費者に届くのは、イネではなくお米粒の状態だ。それぞれの品種の粒を並べてみると、さまざまな違いがあることに気づくだろう。粒の大小や色の濃淡、お米粒の膨れ具合など、品種によって相当の変化がある。

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以上にご紹介したのは、イネの品種改良の際に注目されるイネの形態のほんの一部だ。自分が稲作を営んでいたり、特定の銘柄だけを食べていると、日本には多様なお米があるということを忘れがちになる。その育つ姿やお米となった姿をよく観察してみることは、イネの多様性とそれを生み出した品種改良の歴史へ思いを馳せることにつながるだろう。


参考文献・サイト:
『イネの育種学』蓬原雄三(東京大学出版会)
https://www.tuat.ac.jp/documents/tuat/outline/disclosure/pressrelease/2016/20160725113750288993543.pdf
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20140707_nubs.pdf


文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

何をする?何の役に立つ?イネの『ゲノムプロジェクト』とはなんなのか

 

2004年12月、『国際イネゲノム塩基配列解読プロジェクト(IRGSP)』は、イネ(品種は“日本晴”)のゲノム*の解読が完了したことを宣言した。日本はIRGSPの主体となり、全ゲノムのうちの約55%を解読したのだが、その事実を知っている人はどれくらいいるだろうか。イネのゲノムを探求したことは、それ以降のイネ研究に大きな影響を与えたといえる。今回はイネのゲノムプロジェクトについてみていこう。
ゲノム*……その生物が生きていく上で必要なすべての遺伝情報

 

『ゲノムプロジェクト』や『ゲノムの解読』とは一体何なのか?

 

『ゲノムプロジェクト』とは、その生物の持っているDNAの全塩基配列(もしくは大部分)を決定し、遺伝子の機能や発現の仕組みを目指す研究である。生物の体の設計図となるDNA(デオキシリボ核酸)は、『糖(デオキシリボース)+リン酸+塩基』からなるヌクレオチドがたくさん繋がった高分子だ。『塩基』にはアデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)の4種類が存在する。

 4種類の塩基のいずれかをもったヌクレオチドが繋がると、長いDNA上に『ACCTGCT…』というような塩基の並び順(塩基配列)が生まれる。この塩基配列をもとにして様々なタンパク質がつくられ、その生物の形態や性質に反映されていく。特定のタンパク質の設計図となる情報は『遺伝子』と呼ばれるが、それを暗号文のようにコードしているのはDNAの塩基配列なのである。

naniwosuru1▲塩基配列の解読の際に使用される解析機械の結果例

 

ゲノムプロジェクトは、まずその生物の持つDNAの塩基配列を解き明かすことから始まる。A、T、C、Gの並び方を読み取るのだが、これは簡単なことではない。塩基の数は生物によって異なるが、イネの場合は3億9千万文字分もの塩基配列がある。

ゲノムプロジェクトが始まったころの技術で解読が可能なのは、そのうちの95%、約3億7千万文字だった。ちなみに、2002年に解読が完了したマウスのゲノムは約25億、その翌年に解読されたヒトのゲノムは約30億の塩基からなる。

塩基配列の読み取りには高額な試薬や高性能のコンピューター、そして時間と手間が必要だ。そのため、複数の国や機関で手分けして作業を行い、結果を統合することで1つの生物種の塩基配列を定めていくことが多い。イネゲノムプロジェクトを完遂したIRGSPは、日本を含む10の国と地域からなり、12本の染色体からなるイネゲノムの解読を手分けして行ったのだ。

 

『その塩基配列が何を意味するのか?』も重要

塩基配列の解読だけが、ゲノムプロジェクトのすべてではない。どの染色体にどんな遺伝子がコードされているのか、染色体のどこにそれが存在するのか、複数の遺伝子がお互いどのようにはたらくのか……塩基配列に加え、より実態に即した情報を付け加えることで生命現象を解明するのがゲノムプロジェクトの目標なのである。

日本におけるイネゲノム研究の始まりは、1991年に農林水産省によって開始された『イネゲノム研究プログラム』である。1998年からはIRGSPが結成され国際プロジェクトとなり、2002年の12月に3億6千7百万の塩基配列解読が完了した。残された部分は解読が難しい部分であったが、その2年後に当初の計画にあった3億7千万文字分の読み取りが完了したのだった。

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イネのゲノム解読は何の役に立つのか?

では、大々的なゲノムプロジェクトはどんな役に立つのか? ある種のゲノムが解読されていれば、突然変異などが生じた際、染色体や遺伝子でどのような変化が起きたのかを推察しやすくなる。また、近縁な生物種の研究に応用されたり、ゲノムが解明されている生物種同士の比較が可能になるなど、その価値は計り知れない。

解読されたイネのゲノム情報も、さまざまな研究や新品種の開発に応用されている。遺伝子組み換えやゲノム編集を行う上での基盤になるのはもちろんのこと、従来の交雑育種法などで生み出された品種の研究においても重要だ。ゲノムにどういった変化が起きたことで新しい形質の個体が生まれたのかが説明できれば、さらに良い品種を開発する手掛かりが得られるのだ。

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また他のイネ科植物を研究する上でも、イネのゲノム情報は大変役立つ。特筆すべきは、イネに次いで主食とされている割合の高いコムギやトウモロコシも、イネ科の植物であるという点だ。コムギやトウモロコシはイネよりもずっとゲノムサイズ(遺伝子の情報量=塩基配列の文字数)が大きく、ゲノムを調べるのも一筋縄ではいかない。

しかし、イネゲノムの情報が明らかになると、イネとそれらの植物のゲノムには類似点が多いことが分かってきた。イネゲノムの情報を基本とし、他の作物種の研究に応用されるようになったのである。

イネゲノムの解読以降、その塩基配列からもたらされる遺伝子の研究がさらに進んでいる。イネの生育に関わる因子が少しずつ解明されるにつれ、新品種開発への応用も加速している。生物の形質を定めるゲノムを基盤とした育種研究は、もはや欠かすことのできない研究基盤となっているのだ。

 

◆育種法早見年表


1903年 加藤茂苞らが品種改良実験を本格化
1904年 イネの人工交配に成功。『交雑育種』が本格化
1949年 人工交配の際に花粉を無効化する温湯除雄法案出
1960年 放射線育種場(茨城県)設立
1968年 葯培養によるイネの半数体が生み出される
2004年 イネのゲノムがすべて解読される
2017年 ゲノム編集されたイネの屋外栽培実験開始

 

 参考資料・サイト:
「イネゲノム配列解読で何ができるのか―研究目標と戦略策定のために」矢野昌裕、松岡信(農業生物資源研究所)
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/rice10/

 

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

知っておきたい最新技術。稲の育種にも利用される『ゲノム編集』とは?

 

月並みな言い回しだが、科学技術は日進月歩である。遺伝子組み換え技術の本格的な登場から半世紀も経っていないが、バイオテクノロジーの世界では次なる技術が日の目を見ようとしている。品種改良や医療技術の革命的な技術になるとみられる『ゲノム編集』だ。今回はゲノム編集とこれまでの遺伝子組み換えとの違いや、イネの品種改良におけるゲノム編集技術について見ていく。

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「DNAに手を加える」ことで形質を変化

『ゲノム編集』とは、遺伝子をコードしているDNAの配列を人為的に編集する技術のことである。特定の遺伝子を無効化したり、狙い定めた場所に別の遺伝子を導入したりすることができる、夢のような最新技術だ。

ゲノム編集のカギを握るのは、人工的につくられた『制限酵素』である。制限酵素とは、DNAの指定された部分を切断する働きのある酵素を指す。制限酵素自体は1960年代に発見され様々な実験に用いられてきたが、人工制限酵素はそれまでの一般的な制限酵素よりも、よりピンポイントでDNAの切断ができるよう工夫がされている。

DNAの二本鎖が制限酵素により切断されると、細胞内ではその部分の修復が行われる。この時、DNAの切断部分に『欠け』が生じてしまったり(欠失)、逆に切断部のDNAが修復前よりも少しだけ『増えて』しまう(挿入)ようなことがある。これらの欠失や挿入といった『修復ミス』が起こると、その部分にコードされていた遺伝子が働かなくなってしまうなどの変化が現れるのである。

切断したDNAの間に、外から導入した他の遺伝子やDNAを導入することもできる。人工制限酵素とともに導入したいDNA断片を細胞に取り込ませると、DNAが修復作業をする際にこれを組み込んでしまうことがあるのだ。

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ゲノム編集に使われる人工制限酵素は、2018年までに3種類が開発されている。1996年に開発されたZFN、2010年に報告されたTALEN、そして2013年ごろから本格的な利用が始まったCRISPER/Cas9(クリスパー・キャスナイン)である。これらの中で最も利用が進んでいるのがCRISPER/Cas9だ。他の2つよりも安価かつ簡便に使うことができるため、驚異的なスピードで世界中の研究者に広まった。

 

『ゲノム編集』と『遺伝子組み換え』の違いは?

遺伝子組み換えは、他の生物種の遺伝子を、対象となる個体に取り込ませる技術だ。種を超えた遺伝子の取り込みは有用な形質をもった個体を生み出せる一方、組み換えの成功率が上がらないことも少なからずあった。また、染色体の意図しない位置に導入遺伝子が組み込まれ、既存の遺伝子の働きを邪魔してしまう可能性もゼロとは言えない。そしてなにより、「他の生物の遺伝子を入れる」という技術自体への批判的な感情もあって、研究開発が思うように進まないところもあったのだ。
その点、ゲノム編集は「既存のゲノムに手を入れる」という方法である。DNA修正時の欠失や挿入のみを利用すれば、別の遺伝子を組み込まずして形質を変化させることができる。成功率もゲノム編集の方が高いことが多い。
なによりゲノム編集は、『自然界で起こる突然変異を意図的に、しかも狙った位置に起こす』技術であるため、遺伝子組み換えやGM作物に反対している人にも受け入れられやすいのではないかと考えられている。

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ただし、研究によってはDNAの切断部に別の遺伝子を組み込むこともある。この場合は、「これまでより正確な位置へ遺伝子を導入できるようになった組み換え技術」といえよう。また、CRISPER/Cas9は、「意図しないところでDNAの切断を起こしてしまう可能性がゼロではない」と考えている研究者もいる。精度や安全性の高いゲノム編集技術のためのさらなる研究が待たれる。

 

イネの新品種開発にもゲノム編集が利用されている

ここ数年、イネの育種においてもゲノム編集技術が使われ始めている。国内では2015年にCRISPER/Cas9を用いたイネのゲノム編集の成功が報告された。2017年5月には、つくば市にある農業・食品産業技術総合研究機構の屋外栽培場にて、実の大きさや収量を改善するようゲノム編集されたイネが、複数種類植えられている。屋外でのゲノム編集植物の栽培は、国内ではこれが初めてであった。その後も除草剤耐性や栄養分の高い実をつけるイネなどの研究開発が続けられている。

ゲノム編集は、ここ数年で急激に成長した新しい技術だ。遺伝子組み換えよりも迅速かつ的確に新品種を生み出すことができるゲノム編集技術自体は、これからもどんどん広まってゆくだろう。しかし、この最新の技術をどのようなルールの下で取り扱うかは、国によってまちまちのところがあり、法整備や規制が追いついていないことも無視できない。より精度の良い技術を目指すのはもちろんのことだが、その実用化に向けた環境の整備も必要となってくる。


◆育種法早見年表

1903年 加藤茂苞らが品種改良実験を本格化
1904年 イネの人工交配に成功。『交雑育種』が本格化
1949年 人工交配の際に花粉を無効化する温湯除雄法案出
1960年 放射線育種場(茨城県)設立
1968年 葯培養によるイネの半数体が生み出される
2004年 イネのゲノムがすべて解読される
2017年 ゲノム編集されたイネの屋外栽培実験開始

 

参考文献・サイト:
『ゲノム編集を問う-作物からヒトまで』石井哲也(岩波新書)
http://www.naro.affrc.go.jp/index.html
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/seika/nias/h26/02602.pdf
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2014/RR/CRDS-FY2014-RR-06.pdf

 

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

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