花粉をイネにする!?開発速度UPの技術『葯培養』とは

花粉をイネにする!?開発速度UPの技術『葯培養』とは

 

今回ご紹介するイネの育種技術は『葯培養(やくばいよう)』である。普通の農家であれば、育成や交配の方法は何となく知っていても、葯培養についてはあまり聞いたことがないであろう。この技術は新品種を開発するというよりも、開発のスピードアップを目的に行われることが多い。

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花粉だけからイネを作り出す『葯培養』技術

植物は、雌しべの胚が雄しべの花粉から送られた精細胞を受け取って受精し、次世代となる種子を形成する。胚には母親からもらった遺伝子が、精細胞には父親からもらった遺伝子が含まれており、受精することで両親の遺伝子をもった子孫が誕生するのは皆さんご存知の通りだ。

『葯培養は名前の通り、花粉の入った袋である葯を培養することで、新しい個体を得る方法である。言い換えるなら、『花粉(精細胞)だけから子どもをつくる』技術ということになる。受粉していないのにイネを成長させることができるのか?と疑問に思われる方もいるだろう。精細胞に含まれている遺伝情報には、それ単独でも植物のほぼ全身の設計図が書き込まれている。その生物が生きていく上で必要なすべての遺伝情報を『ゲノム』というが、精細胞には1セットのゲノムが入っていると言い換えることもできる。そして、胚にも母親由来の1セットのゲノムが入っている。すなわち『受精=ゲノム2セットが1組になること』なのである。ゲノムが2セットになった時点で片方の親に由来する遺伝の情報が強く出たり、細胞分裂を繰り返す途中にDNA*1が絡まって新しい情報が生み出されるため、子どもは多様な形質を示すのだ。

 

『カルス形成』と『コルヒチン処理』

さて、花粉(精細胞)にはゲノムが含まれているので、受精せずとも細胞分裂を促せば植物の全身を作る能力は潜在するということになる。しかし、私たちの皮ふの細胞が簡単に筋肉や神経になることができないように、一度花粉の細胞になってしまったものを葉や茎にすることは自然界では不可能だ。

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ここで使用されるのが、カルス形成という技術である。『カルス』とは植物細胞の塊なのだが、『なににも分化しておらず、これから葉にも根にも茎にもなれる』状態の細胞である。それまで葉や実や花粉といったいろいろな種類に分化していた細胞を完全にリセットしてしまうのだ。特定のホルモンや栄養を添加した培地に葯を置いておくと、花粉がカルスになり、さらに別の薬品を加えることで花粉のカルスからは葉や根が出てくる。

イネのカルスを育てると、普通の個体より小さなイネが育つ。正常な受精をしたものの半分のDNAしか持っていないカルスからの個体(半数体という)は、根や葉はできても正常な大きさになれず、発芽能力のある籾をつけることはできないのだ。この半数体の小さな個体をコルヒチンという物質の入った液体につける。コルヒチンは染色体*2を2倍にするという性質を持っており、コルヒチンで処理された個体の細胞はDNA量が正常個体と同じになる。こうなると、もはや受精によって誕生した個体との差がなくなる。ここまでの処理を乗り切った花粉由来の個体は、籾を付け次世代を生み出すことができるようになるのだ。

 

葯培養は新品種開発のスピードを劇的にアップさせた

なぜ花粉から個体を作ることが必要なのだろうか?分離育種法交雑育種法では、有用な個体を選抜してから何世代も交配を繰り返す必要がある。なぜなら、親が目的とする形質を持っていても、子がその形質を必ず受け継ぐとは限らないからだ。精細胞と胚の2セットのゲノムがペアになることで「子どもは多様な形質を示す」と前述したが、新種開発ではこれが問題となるのである。品種は育てれば必ずすべて同じ形質の個体が現れる『純系』でなくてはならない。

ところが、花粉からできた個体は父親由来のゲノムしか持っておらず、それを2倍にすれば同じゲノムを2セット持つ個体が得られる。それを2〜3世代育てると形質は固定され、純系を作り出すことができる。何世代もの育成と個体選抜を繰り返す必要がないため、時間と労力がぐっと節約できるようになった。一般的に8〜10世代、ときに10年以上の時間をかけて作る新品種が、半分以下の年数でできるようになったのだ。

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葯培養の原理を簡単に書いてきたが、問題点も存在する。品種によっては培養がうまくできないものもあるのだ。また、花粉の入った葯を丸ごと培養するので、花粉ではない細胞からできたカルスが混ざってしまうこともある。それでも、この技術がもたらした成果は大きい。1968年にイネの半数体が初めて作られ、1987年に北海道で葯培養を利用した品種“上育394号”が初めて誕生した。それ以降多くの新品種開発に用いられている。新しい食味や性質をもった品種が次々と求められる時代において、葯培養のことを知っておくのは無駄ではないだろう。

 

*1 DNA…DNA(デオキシリボ核酸)は遺伝情報を記すための物質である。遺伝子やゲノム、染色体という言葉と混同しやすいので整理しておきたい。ゲノムが『全身の設計図が記された本』だとしたら、遺伝子は『筋肉の作り方、骨の作り方……などのそれぞれの説明文』、そしてDNAは『説明文をかくための1文字1文字』というイメージだ。

*2 染色体…DNAは長くつながった糸のような状態で細胞の核にしまわれている。細胞分裂の時になるとDNAがまとまって太い棒のような構造体である『染色体』になる。染色体が2倍になるということは、DNAの量が2倍になり、ゲノムは新しい1セットができる、ということになる。

 

◆育種法早見年表

1903年 加藤茂苞らが品種改良実験を本格化
1904年 イネの人工交配に成功。『交雑育種』が本格化
1949年 人工交配の際に花粉を無効化する温湯除雄法案出
1960年 放射線育種場(茨城県)設立
1968年 葯培養によるイネの半数体が生み出される
2004年 イネのゲノムがすべて解読される
2017年 ゲノム編集されたイネの屋外栽培実験開始

 

参考文献:
『植物バイテクの実際』大澤勝次・久保田旺(農文協)
『イネの育種学』蓬原雄三(東京大学出版)

 

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

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