人々が幸せを求めた稲荷神社の「初午祭」には、稲作の神様との深い結びつきがあった

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春の足音が聞こえ出す立春の頃、全国の稲荷神社では「稲荷詣でをする参拝客で賑わいを見せている。2月最初の午(うま)の日に行われる祭礼「初午(はつうま)祭」だ。今から1300年ほど前、2月の最初の午の日に京都の伏見稲荷大社に祭神が降臨したことから、この日に稲荷神社で祭礼が行われるようになったのがはじまりだそう。「稲荷神」とは字のごとく「イネナリ神」とも呼ばれ、稲作や農業の神様を表す。農事との結びつきもとても深かった「初午」の日とは、どのようなものなのか。

 

キツネは稲作の神様だった!?

商売繁盛、家内安全、さらには開運も……さまざまな祈願がなされる稲荷神社のお祭り「初午祭」だが、元々は春先の農事の初めに田の神様を山から里へ移し、五穀豊穣を願う行事であったそう。

「稲荷神」「お稲荷さん」とも呼ばれている稲荷神社の祭神は、穀物に宿る神、土地の神、米稲の倉庫を守る神、お米の神といった、農耕に関わる神と考えられてきた。信仰の象徴として諸説あるが、私たちの生活に欠かせない神様として民間信仰と結びつき、のちに農業だけにとどまらず、産業や工業、商業などさまざま開運を司る神様として広まったと言われている。そういった背景から、初午祭に参る参拝者が多いのだ。

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稲荷神社といえば、キツネの石像を思い浮かべる人は多いだろう。なぜキツネなのか。稲荷神社の総本山「伏見稲荷大社」によると

「稲荷大神様」のお使い(眷族[けんぞく])はきつねとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。

勿論「稲荷大神様」はきつねではありません。

 

とのこと。 

そのほか、稲荷大明神は日本神話に登場する宇賀之御魂命(うかのみたまのみこと)*という神様で、食物を司る大御膳神(おおみけつのかみ)とも呼ばれることから、キツネの古い呼び方である「けつ」を重ね合わせ、この「みけつ」に「三狐神」という文字を当てたという説も。

民俗学者の柳田國男氏は、古来日本人は、春になると人里に姿を現し、収穫が終えた秋には山へ帰るキツネの姿を山の神・田の神のお使いであると認識した、と指摘している。古くから稲作や農業と切っても切れない人間の生活の中で、自然とキツネが神様のお使いとして人々のイメージに浸透し、信仰されてきたのだ。

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*古事記では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と記されている

 

東西で違ういなり寿司の形。三角はキツネの耳、四角はなんの形?

「稲荷」と聞くともう一つ思い浮かべるのは「いなり寿司」だ。キツネの皮の色に似た油揚げを、稲荷神社に備えて願掛けをするようになったのが江戸時代。(キツネの好物とされているのが油揚げだが、野生のキツネは食べないそうだ)

油揚げの中に、農耕の神である稲荷神がもたらしてくれたごはん(すし飯)が詰められ、稲荷神にまつわる2つの食材から誕生したのがいなり寿司なのだ。

地域によって形や詰められるものが違うが、主に関東では油揚げを四角に切って、米俵に見立てた「俵形」に。関西では油揚げを対角線に三角に切って、キツネの耳に見立てた「三角形」にするところが多い。いずれも、稲荷神への信仰が反映された格好だ。

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いなり寿司のほか、初午には初午団子を作って食べる地域も。また栃木県を中心とした北関東一体などでは、「シモツカレ」「スミツカリ」と呼ばれる大豆、大根、人参、塩鮭の頭などを煮込んで藁苞(わらづと)に入れて供えていただく習慣もある。栃木県では、昔から「初午の日に七軒の家のシモツカレを食べると中風にならない」と言われ、近所の家々にもふるまうことがあるそうだ。

 

古くから稲の神様として民間信仰と結びつき、全国へ広まった稲荷神社は約3万社あるとも言われる。長い間私たちにとって身近で「お稲荷さん」と親しまれきたことから、初午の日には地域独自の習慣や食事の作法など数多くあり、さまざまな願いを叶えてくれる万能の神様ともいわれるほど。それでも、もともとは五穀豊穣を祝い、田の神様を迎え入れたことから始まった祭礼。そんなことに想いを馳せながら初午の日にいただくいなり寿司は、いつもと味わいが違うはずだ。

 

参考文献・サイト

『子どもに伝えたい食育歳時記』ぎょうせい(2008)

『年中行事読本』創元社(2013)

伏見稲荷大社

http://inari.jp/about/faq/

「いなり寿司」の豆知識 | 三越伊勢丹の食メディア | FOODIE(フーディー)
https://mi-journey.jp/foodie/19658/

新潟県津南町に伝わる、伝統の小正月行事『鳥追い』とは?

皆さんの地域では『小正月』(1月15日)にどのような行事が行われるだろうか? 『どんど焼き』や鏡開きなど、昔から伝わる行事があちこちで行われるが、稲作をする農家にとっては豊作祈願の行事が欠かせない。筆者の生まれ育った新潟県は全国に誇る米どころ。稲作に関する民間信仰を調べていたところ、新潟県南部に位置する津南町に古くから伝わる『鳥追い』という小正月の行事があることを知り、訪れた。

 

田んぼの鳥を追い払う子どもたちの歌

「米作りに関係する行事なら、うちの集落でもやっている『鳥追い』があるよ」と教えてくれたのは、津南町の知人である。どんな行事なのかと尋ねると、「夕方、子どもたちがスゲ帽子をかぶり、歌を歌いながら集落内を歩く。神社や公民館まで行くとかまくらがあり、夜にはそこでお菓子を食べる」ということだった。

歌やかまくら、そして夜更かしが、一体稲作とどのような関係があるのだろうか? と疑問に思い、資料をあたってみた。津南町史によると、鳥追いは津南町で古くから行われている小正月の行事で、もともと『田んぼにやってくる鳥を追い払う』という趣旨のものであるらしい。

1月14日の夜、集落の子どもたちはスゲでつくられた三角の帽子をかぶり、拍子木を打ち鳴らしながら鳥追いの歌を歌って歩きまわる。かまくらに到着すると、中でお菓子などを食べながら皆で夜を過ごすが、時折かまくらの外に出て鳥を追い払うために歌うことを繰り返したという。小正月と合わせ、お米づくりの成功を願うための大切な行事だった。

niigatatorioi1▲鳥追いで使用するスゲでできた帽子。通称『スゲ帽子』

 

かつては町内のあちこちで行われていた鳥追いだが、少子高齢化につれて数は減り、現在はいくつかの集落に限られるという。また、内容を一部簡略化したり、日付を週末にずらして続けているところが多いようだ。現在の鳥追いがどのようなものかをこの目で確かめるため、2019年1月12~13日に津南町内の2集落を訪れ、行事の様子を見せていただいた。

 

形を変えながら続く、現代の『鳥追い』

12日に訪れたのは、津南町役場周辺の大割野(おおわりの)集落である。町の中でも特に商店が多く立ち並ぶエリアだ。夕方、集合場所の役場を訪れると多くの人が集まっていた。地元の方に集落の鳥追いの歴史を聞くと、「大割野集落の一部で続いていた行事だが、子どもが減ったため、昨年から大割野集落全体でやるようになった」という。

時間になると、子どもたちにスゲ帽子と拍子木が配られた。スゲ帽子は町の観光協会から借りたものだというが、新品らしく、替えたばかりの畳のようないいにおいがする。

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合図とともに子どもたちの行進が始まった。大割野集落では、子どもが鳥追いの歌を知らないということで、スピーカーで歌のCDをかけながらのにぎやかな歩みである。拍子木を鳴らしながら集落内の道を右へ左へ歩き回る。子どもが家の前を通ると、屋内から人が出てきてお菓子を渡していた。『夜にかまくらで食べる夜食』という意味だそうだ。

例年豪雪に見舞われる津南町であるが、この日の前後は雪が降らず道路も非常に歩きやすかった。とはいえ、集落の神社まで1時間近く歩くと、子どもたちにも若干の疲れが見えてくる。先導する軽トラックの荷台には各家庭からもらったお菓子がたくさんだ。

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ゴール地点の神社には、子どもが10人ほども入れそうな大きなかまくらができていた。慣なれないスゲ帽子から解放された子どもたちは、境内で雪合戦をしたり、かまくらに入ったりと実に楽しそうであった

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受け継がれる『鳥追い』の文化

翌日の夜に訪れたのは、津南町役場から4㎞ほど離れた卯ノ木(うのき)集落。筆者に鳥追いの情報をくれたのはこの集落に住む知人である。卯ノ木ではかまくらをつくることはやめてしまったものの、子どもたちが鳥追いの歌を歌い、提灯を下げながら集落内を回った。『あの鳥どこから追ってきた、信濃の国から追ってきた』から始まる鳥追いの歌が、独特のメロディで響く。長野県との県境にある津南町らしい歌詞だ。

子どもたちの歌と拍子木の音を聞き、集落のご老人が家から出てきた。お菓子を差し出しながら、「懐かしくて涙がでそう」と笑顔で話しかけていた。「子どものころ、夜になっても友達とかまくらで遊べる鳥追いは、本当に楽しい特別な日だった」という人もいた。今の子どもたちにとっても、生まれ故郷の特別な思い出として、しっかりと記憶に残っていくにちがいない。

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津南町には今回訪問した以外にも鳥追いを行っている集落がある。他の集落ではかまくらをつくるだけだったり、スゲ帽子を使わなかったりと、少しずつ形を変えて鳥追いが続けられているそうだ。起源である『鳥の追い払い』としての側面が薄れ、子供が楽しむ行事になりつつある鳥追いだが、自然と野生動物の中で稲作をしてきた津南町だからこそ今も大切にされている伝統なのだろう。

 

参考資料:
津南町史 資料編下巻

文:小野塚 游(オノヅカ ユウ)
“コシヒカリ”の名産地・魚沼地方の出身。実家では稲作をしており、お米に対する想いも強い。大学時代は分子生物学、系統分類学方面を専攻。科学的視点からのイネの記事などを執筆中。

願いを込めたわら細工で七夕様とつながる「七夕綱」

tanabatatsuna1“七夕”と聞くと、誰もが笹の葉に短冊が吊るされた光景を想像することだろう。今回紹介する「七夕綱」は、限られた地域で行われている行事で笹の葉は登場しない。使用するのはわら(藁)。一本の綱にいくつものわら細工の飾り物をつけ、川をまたぐように張られるのだ。一度は途絶えたこの風習を復活させた、熊本県南部に位置する八代市坂本町の木々子(きぎす)地区を訪れた。

 

扇、卵、亀、鶴、人形……。見事な手仕事に感嘆

tanabatatsuna28月6日、朝8時になると木々子地区のお堂に多くの人たちが集まっていた。「トントントントン……」と、堂内に響くわらを叩く小気味良い音。わら細工をするために、100回以上叩いてわらを柔らかくしていく。地区の女性陣が、わらを持ちどんどんと編み込んだり、形成をしたりと手際よく作業をし、亀、鶴、わらじなどを創り出して行く。

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小さい時からわらを編んで草履を作っていたという、妙子おばあちゃんはわら細工の名人。おしゃべりに花を咲かせながらも、手元を動かし次々に細工物を作っていく。正月に飾る注連縄も自分たちで作るという女性陣は、皆がわら細工の先生だ。

子孫繁栄を願うという「卵」は、必ず13個作るのが決まり。昔疫病が流行っていたということがあり病気を「とおさん(十三)」という意味が込められているそう。

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「鶴」や「亀」は縁起が良いもの、「馬」はみんな上手く行きますように、など意味や想いが込められたわら細工は14種類ほど。細工物はこれを作らないといけないという決まり事はないが、草履は鼻緒を立てない未完成のものを作り「手仕事が上手になりますように」という願いが込められる。

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毎年この日は見学者を歓迎し、わら細工を体験できるなど、賑やかな笑い声が集落にこだまする。そのため、他に飾りつけるわら細工は、事前に2日間をかけて集落の人たちで集い作っているという。そこには、織姫や彦星の人形、船、タコやヤモリ、馬など、手の込んだ飾り物も多数。それだけでも見応えは十分だ。
 

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50年の時を経て復活した「七夕綱」

「文献に残された記録だと、昭和9年までは、毎年七夕綱をやっていたそうです」と話すのは、『八代七夕綱保存会』会長の久保田さん。久保田さんのお父さんが老人会会長をしていた当時、老人会で何かやれないかと考えていた所、旧坂本村の官報に「七夕綱」の文字を見た。「これはなんだ?」と思い調べてみると、昭和9年までは青年団が主体となって七夕綱を継承していたという。その後中断をしていたのだが、昭和59年、老人会の活動として復活し、保存を続けてきた。

平成27年、木々子地区以外の地域でも伝承される七夕綱と合わせて『八代・芦北の七夕綱』として、「国選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形文化財)」に登録。それを機に、保存会を設立し現在に至っている。

現在木々子地区には22戸、24世帯が住む。以前は美しい棚田があり、住民のほとんどが米づくりを主体とする農家だったが、60年程前の大水害の被害で田畑などが壊滅、風景の変化とともに米農家も減っていったという。

tanabatatsuna11▲『八代七夕綱保存会』会長の久保田さん。今木々子地区でお米を作っているのは、久保田さんを含め2軒。「わらはどこにでもあるが、七夕綱で使うわらは、木々子のわらでないと」との強い思いもあり、お米づくりを続けている。

 

織姫と彦星が出会うための綱? ご先祖様が帰ってくるための綱?

10時30分頃。わら細工の作業も終わり、皆お堂を出て、綱をわたす中谷川の方へ降りて行く。橋のたもとには、事前に作られていた飾り物もスタンバイ。綱に飾り物を付けながら、地区の住民は「今年もよろしくお願いします」「みんなが元気に過ごせますように」とお願い事を唱える。それはまぎれもなく、短冊に書く願い事と同じだ。

tanabatatsuna13▲外れないようにしっかりと、想いを込めて結ぶ

tanabatatsuna14▲八代市内の支援学校の生徒たちと一緒に作ったわら細工。子ども達の願いも添えられる。

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飾り物が付けられた約40メールの綱を天高く上げ、電柱に括り付けるのはかなりの大仕事。地区の男性陣が命綱をつけ(つけていない達人も!)電柱に登って綱を張り渡す。

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川を挟み、集落の入り口に張り渡された「七夕綱」。なぜ綱を張るのかと言うと、この綱を渡って織姫と彦星が出会うため、疫病が入ってこないようにするため、ご先祖様がこの綱を渡って帰ってくるため、など、様々な言い伝えがあるようだ。木々子地区では約1ヵ月間飾り、八朔(9月1日)の日に降ろす。

短冊に綴る個人的な願いももちろん構わないが、五穀豊穣を祈り、疫病や伝染病が起きないようにと、地域が一体となって願う「七夕綱」もとても尊いものだと感じる。半世紀を超えて復活し、30年以上伝承されている地域の大事な行事を、体感することをおすすめしたい。

tanabatatsuna17▲1ヵ月、集落の入口に張られる「七夕綱」。一つひとつの細工を見て眺めるだけで楽しい。

tanabatatsuna18▲綱を張り巡らせた後は、地域のお母さんたちが作るごちそうを囲んで交流会。愛情たっぷりの料理を頬張りながら、「七夕綱」についての話も尽きない。


◆開催日程
八代市・木々子地区の「七夕綱」
毎年8月6日
場 所:熊本県八代市坂本町中谷
この記事の情報は2018年のもの
※葦北郡芦北町の「七夕綱」開催場所・日時は、
 芦北町生涯学習課(0966-87-1171)へお問い合わせください。

参考資料・サイト:
『坂本村史』坂本村村史編纂委員会(1990年)
八代・芦北の七夕綱(国選択)八代市観光情報
http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji0032438/index.html

 

豊作を願い、阿蘇の大地に響く田歌と200人の神幸行列

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私たちの祖先は古くから五穀豊穣を願い続け、全国各地で今もなお、多くの伝統的な農耕儀礼が伝承されている。熊本県にある阿蘇神社では、1年を通して稲作に関するさまざまな祭礼が行われていて、その一連の祭りは「阿蘇の農耕祭事」と呼ばれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

暑さ厳しい7月の炎天下、半日をかけて青田を巡る阿蘇神社の『御田植神幸式』の行列を追いかけた。

 

神輿にお乗せした神様に、稲の育ち具合を見てもらう

通称“おんだ祭”と呼ばれる『御田植神幸式』は、毎年7月26日に国造神社で、7月28日に阿蘇神社で行われる。「阿蘇の農耕祭事」のなかの1つで、阿蘇神社最大規模の神事だ。

2016年の熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇神社。国指定重要文化財の「神幸門(みゆきもん)」と「還御門(かんぎょもん)」も被災した。通常おんだ祭の時にだけ開門するというこの2つの門。今年(2018年)7月、2年の時を経て修復がほぼ完了し、神幸門から出発し、還御門へ帰る神幸行列を見ることができるようになった。

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▲元々拝殿や神殿があった場所は、現在復旧工事中で立ち入り禁止となっている。写真中央手前にあるのは、仮参拝所

 

仮拝殿で神事が執り行われた後、いよいよ神幸行列が出発。神幸門から整然と出てきたのは、田男・田女・牛頭といった農耕に関する人形を持った白装束の男の子たち。神様の食事を頭に乗せて運ぶ「宇奈利(うなり)」と呼ばれる女性たちや、神様を乗せた4基の神輿や馬が続く。脈々と続いてきた伝統的な風景に、思わず背筋を正す。

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▲一行は、11時30分に阿蘇神社を出発し、住宅街、田園地帯を練り歩き、17時にまた阿蘇神社へと戻ってくる。神様に稲の育ち具合を見てもらい、秋の豊作を祈願するのだ。

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▲残されている資料によると、神幸行列は13世紀末にはすでに行われていたそう。

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▲獅子に頭を噛んでもらうと、無病息災になるとか。宇奈利が持つ御膳を頭に載せると女性の病気にかからない、神輿の下を往復すると無病息災に、などさまざまな祈願も楽しみのひとつ。

 

空高く舞う稲。五穀豊穣の願いとともに

おんだ祭の見所のひとつが、神輿に向かって稲を投げかける“御田植え式”と呼ばれる行為。途中一の御仮屋、二の御仮屋と2カ所の御仮屋と阿蘇神社帰着後に行われる。まず御仮屋に到着すると、神輿を安置して神事。神輿を担ぐ「駕輿丁(かよちょう)」たちが田歌を歌う。田の神を勧請(かんじょう)するために、田植えの時に歌われる田歌。おんだ祭では、場所によって歌われる歌詞が決まっているという。まるで能楽を聴いているような、古きゆかしき田歌の調べを聴いていると、田の神への感謝、五穀豊穣への祈りが自然と湧き出てくるから不思議だ。

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▲おんだ祭前には、駕輿丁が集まり田歌の練習を十分に行う。田歌は一の御仮屋から歌われ、神幸行列は田歌に合わせて粛々と進んで行く。

 

神事の後、見物客にも配られ出した根っこが付いた青々とした稲。おんだ祭のために、特別に栽培されたものだそう。

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神輿の屋根の上にたくさん乗ると豊作、ということで、皆一生懸命投げかけるが、なかなかコツがいるようだ。なぜなら、4基の神輿は駕輿丁たちによってグルグルと風車の様に回っているか。しかも、スピードも速い。難しいからこそ、神輿の上に乗ると豊作と呼ばれるのだろう。

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▲一の御仮屋での“御田植え式”の様子

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▲阿蘇神社での“御田植え式”の様子。多くの見物客が稲を片手に合図を待つ。

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稲にはなぜ根っこが付いているのかというと、「持って帰って自分の田んぼに稲を植えると良いんだよ」と地元の人が教えてくれた。神輿に乗らず、落ちてしまった稲は、自分の田へ植えると虫がつかないと言われているそうだ。昔から地域との結びつきが強い祭りであることも伺える。

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粛々と執り行われる神事に海外からの参加者も

 

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▲午後17時、阿蘇神社に戻り還御門をくぐる宇奈利たち

毎年行われるおんだ祭は、その歴史と規模からしても多くの観光客と見物客、写真愛好者たちでにぎわっている。そこにはアジア、欧米からの外国人観光客も多い。伝統的な神事ではあるが、今年はオーストリアのウィーン大学の学生が法被を着て神輿を担ぐ姿も見られた。真っ赤な顔をして流暢な日本語で「楽しいです」と話していた彼ら。日本の農耕祭事は、彼らの目にどう映ったのだろう。県外からの移住者が駕輿丁の副頭を務めるなど、新たな交流も加わり、さらなる進化を続けるおんだ祭。阿蘇の風景に心地よく溶け合う田歌を聴きながら、ぜひ悠久の時に思いを馳せて欲しい。

 

◆開催日程

おんだ祭(御田植神幸式)

毎年7月26日(国造神社)、7月28日(阿蘇神社)

場   所:国造神社(熊本県阿蘇市一の宮町手野2110)

      阿蘇神社(熊本県亜阿蘇市一の宮町宮地3083-1)

お問合せ先:国造神社(0967-22-4077)

      阿蘇神社(0967-22-0064)

この記事の情報は2018年のもの

 

参考資料:

『神々と祭の姿 阿蘇神社と国造神社を中心に』一宮町(1998年)

 

田植え初めで1年を占う? タイの農耕祭『プートモンコン』とは

JA全農によると、日本における国民一人あたりのお米の年間消費量は、50年前のピーク時における120kgに比較して、現在では60kgとほぼ半減しているそうだ。その理由についてはやはり食の多様化が挙げられるだろうが、我々日本人のお米に対する意識の変化も大きいように感じられる。

日本と同じようにお米を主食とするタイでは、5月前後に始まる雨季の前に、『プートモンコンと呼ばれる田植え初めの儀式が行われる。日本ではほとんど知られていない行事ではあるが、そのプートモンコンについて知ることは、お米に対する意識をほんの少しでも上向ける機会になるのではないか。そんな思いから、今回はタイのプートモンコンについてご紹介したい。

 

『プートモンコン』とは?

プートモンコンとは、タイの王宮広場前で行われる、タイ王国王室によって行われる田植え儀式である。今年もタイ国王が直々に参加した重要な行事なのである。農耕祭とも呼ばれ、タイ中の農民が祝福を受ける式典の日として、官公庁などは休みになる。

今年のプートモンコンは5月14日。『今年の』とつけると、「なるほど、プートモンコンというものは旧暦で行われるのだな」と思う人もいるかもしれないが、それは誤りである。なんとこの日は毎年占星術によって決められ、タイ王国宮内庁によって発表されるのだ。

そしてその儀式中、二頭の聖なる白い牛がコメ、とうもろこし、豆、ゴマ、草、木、酒のうちの何を食べるかによって今年の作物の出来を占うという。古来から農耕は宗教的儀式と密接に結びついてきた。様々な方法で豊作を祈願してきたわけだが、タイにおける豊作祈願がこのプートモンコンというわけである。

tauehajime1(写真引用:タイ農業共同組合省 https://www.moac.go.th/calendar-preview-401291791806

 

プートモンコンの起源

プートモンコンはタイの農耕祭。つまり『祭り』である。プートモンコンの起源について調べるに際し、祭りとは何か、ということについて考えてみよう。そもそも祭りとは『祀る』が名詞になったもので、感謝や祈り、神や仏を祀る行為を指す。日本にもたくさんの祭りがあるが、それらも農作物に対する感謝や、豊作を神仏に祈る行事であった。

例えば、日本の春祭りは農耕の初めとして豊作を祈願する儀式がその大元となっている。つまり、日本もタイも祭りに対するルーツ、根っこの部分は全く同じなのだ。その年の農作の始めに豊作を願い、祈りと感謝を捧げる大切な機会なのである。

日本と同じように、タイにおける主要農作物はお米。しかも世界一のお米の輸出国でもある。であるから、稲作とその始まりを告げるプートモンコンに対する国民の関心も非常に高い。儀式終了後に広場にまかれる種籾は金運上昇の縁起物として観覧者が殺到するという。日本人も縁起をかつぐのが大好きだが、こういうところでもタイと日本の類似点が見られて微笑ましい気持ちになる。

tauehajime2(写真引用:タイ農業共同組合省)

 

2018年のプートモンコンの結果は?

プートモンコンのメインイベントと言えば、やはり牛が食べたものによって今年の作物の出来を占うという儀式であろう

なぜ牛なのか? それはやはりタイの農作における牛(水牛)との密接な関わりが関係している。タイの稲作と牛との関係については、筆者の別記事、『「人牛一体」で大暴れ!タイ伝統の水牛レースは農耕に携わる人々の熱い想いが込められていた』をぜひご覧いただきたい。

そして気になる今年の結果は、『十分な量の水と豊富な食料に恵まれ、交通と貿易が改善し、経済が発展する』という占いが出たそうだ。何とも景気の良い結果ではあるが、牛が食すコメ、とうもろこし、豆、ゴマ、草、木、酒からどうしてそこまで分かるのか、不思議なところでもある。

ところでこの占い、実はからくりがあって、毎年細かな違いはあれ『豊作』という結果に変わりはないそうである。タイ人としても本気で占いを気にするということではなく、田植え初めの景気づけ、という側面が強いのであろう。

tauehajime3(写真引用:タイ農業共同組合省)

 

日本と同じく、お米が主要な農作物であるタイ。その田植え初めに王宮を挙げて祭りと儀式を行うあたり、お米に関する関心は日本人以上に高いと言えるのかもしれない。

そしてプートモンコンの起源や縁起物を大切にするタイ人の気質について考えると、我々日本人との共通点や似ている部分が多いことにも気付かされるのではないだろうか。

米離れが着実に進行している日本。タイにおけるプートモンコンのように、様々な機会にお米の美味しさや大切さを見直す機会を持てるようにしていきたいものである。

 

文:dctyk
タイ在住のライターで、日本にも拠点を持つ。日本とタイを行き来しながら、タイの食文化を探る日々を送る。タイ人直伝の米の炊き方を元に、湯取り法にたどり着いた。お酒に関する造形も深い。

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