豊作を願い、阿蘇の大地に響く田歌と200人の神幸行列
私たちの祖先は古くから五穀豊穣を願い続け、全国各地で今もなお、多くの伝統的な農耕儀礼が伝承されている。熊本県にある阿蘇神社では、1年を通して稲作に関するさまざまな祭礼が行われていて、その一連の祭りは「阿蘇の農耕祭事」と呼ばれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
暑さ厳しい7月の炎天下、半日をかけて青田を巡る阿蘇神社の『御田植神幸式』の行列を追いかけた。
神輿にお乗せした神様に、稲の育ち具合を見てもらう
通称“おんだ祭”と呼ばれる『御田植神幸式』は、毎年7月26日に国造神社で、7月28日に阿蘇神社で行われる。「阿蘇の農耕祭事」のなかの1つで、阿蘇神社最大規模の神事だ。
2016年の熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇神社。国指定重要文化財の「神幸門(みゆきもん)」と「還御門(かんぎょもん)」も被災した。通常おんだ祭の時にだけ開門するというこの2つの門。今年(2018年)7月、2年の時を経て修復がほぼ完了し、神幸門から出発し、還御門へ帰る神幸行列を見ることができるようになった。
▲元々拝殿や神殿があった場所は、現在復旧工事中で立ち入り禁止となっている。写真中央手前にあるのは、仮参拝所
仮拝殿で神事が執り行われた後、いよいよ神幸行列が出発。神幸門から整然と出てきたのは、田男・田女・牛頭といった農耕に関する人形を持った白装束の男の子たち。神様の食事を頭に乗せて運ぶ「宇奈利(うなり)」と呼ばれる女性たちや、神様を乗せた4基の神輿や馬が続く。脈々と続いてきた伝統的な風景に、思わず背筋を正す。
▲一行は、11時30分に阿蘇神社を出発し、住宅街、田園地帯を練り歩き、17時にまた阿蘇神社へと戻ってくる。神様に稲の育ち具合を見てもらい、秋の豊作を祈願するのだ。
▲残されている資料によると、神幸行列は13世紀末にはすでに行われていたそう。
▲獅子に頭を噛んでもらうと、無病息災になるとか。宇奈利が持つ御膳を頭に載せると女性の病気にかからない、神輿の下を往復すると無病息災に、などさまざまな祈願も楽しみのひとつ。
空高く舞う稲。五穀豊穣の願いとともに
おんだ祭の見所のひとつが、神輿に向かって稲を投げかける“御田植え式”と呼ばれる行為。途中一の御仮屋、二の御仮屋と2カ所の御仮屋と阿蘇神社帰着後に行われる。まず御仮屋に到着すると、神輿を安置して神事。神輿を担ぐ「駕輿丁(かよちょう)」たちが田歌を歌う。田の神を勧請(かんじょう)するために、田植えの時に歌われる田歌。おんだ祭では、場所によって歌われる歌詞が決まっているという。まるで能楽を聴いているような、古きゆかしき田歌の調べを聴いていると、田の神への感謝、五穀豊穣への祈りが自然と湧き出てくるから不思議だ。
▲おんだ祭前には、駕輿丁が集まり田歌の練習を十分に行う。田歌は一の御仮屋から歌われ、神幸行列は田歌に合わせて粛々と進んで行く。
神事の後、見物客にも配られ出した根っこが付いた青々とした稲。おんだ祭のために、特別に栽培されたものだそう。
神輿の屋根の上にたくさん乗ると豊作、ということで、皆一生懸命投げかけるが、なかなかコツがいるようだ。なぜなら、4基の神輿は駕輿丁たちによってグルグルと風車の様に回っているか。しかも、スピードも速い。難しいからこそ、神輿の上に乗ると豊作と呼ばれるのだろう。
▲一の御仮屋での“御田植え式”の様子
▲阿蘇神社での“御田植え式”の様子。多くの見物客が稲を片手に合図を待つ。
稲にはなぜ根っこが付いているのかというと、「持って帰って自分の田んぼに稲を植えると良いんだよ」と地元の人が教えてくれた。神輿に乗らず、落ちてしまった稲は、自分の田へ植えると虫がつかないと言われているそうだ。昔から地域との結びつきが強い祭りであることも伺える。
粛々と執り行われる神事に海外からの参加者も
▲午後17時、阿蘇神社に戻り還御門をくぐる宇奈利たち
毎年行われるおんだ祭は、その歴史と規模からしても多くの観光客と見物客、写真愛好者たちでにぎわっている。そこにはアジア、欧米からの外国人観光客も多い。伝統的な神事ではあるが、今年はオーストリアのウィーン大学の学生が法被を着て神輿を担ぐ姿も見られた。真っ赤な顔をして流暢な日本語で「楽しいです」と話していた彼ら。日本の農耕祭事は、彼らの目にどう映ったのだろう。県外からの移住者が駕輿丁の副頭を務めるなど、新たな交流も加わり、さらなる進化を続けるおんだ祭。阿蘇の風景に心地よく溶け合う田歌を聴きながら、ぜひ悠久の時に思いを馳せて欲しい。
◆開催日程
おんだ祭(御田植神幸式)
毎年7月26日(国造神社)、7月28日(阿蘇神社)
場 所:国造神社(熊本県阿蘇市一の宮町手野2110)
阿蘇神社(熊本県亜阿蘇市一の宮町宮地3083-1)
お問合せ先:国造神社(0967-22-4077)
阿蘇神社(0967-22-0064)
この記事の情報は2018年のもの
参考資料:
『神々と祭の姿 阿蘇神社と国造神社を中心に』一宮町(1998年)