春分の日。それは春に太陽がちょうど真東から上り真西に沈む日であり、昼と夜の長さがほとんど同じ一日のことで、この日から少しずつ昼の時間の方が長くなります。日本では古くから太陽信仰があったため、この日は特別な日として神に『かいもち』を捧げていました。日本に仏教が伝来されてから、この日を中日として前後三日ずつの合わせて七日間を『春の彼岸』と言うように。1948年から春分の日(例年3月20日〜21日頃の1日)は、『自然をたたえ、生物をいつくしむ』という趣旨の国民の休日となっています。
仏教行事を起源としたお彼岸の風習と『ぼたもち』の由来
仏教で『彼岸』とは、現世に対しての一切の悩みを捨て去って悟りの境地に達することを言います。また、仏様やご先祖が住む極楽浄土は西の方角にあるとわれており、春分や秋分の日前後三日を加えた七日間は極楽浄土が近くなる時期だと考えられていました。そのためこの時期にご先祖の墓参りをし、ご先祖の魂を供養する『彼岸』の仏教行事になったと言われています。お彼岸の初日を『彼岸の入り』、最終日を『彼岸明け』と言います。このならわしは仏教行事ですがインドや中国では見られない日本固有の慣習です。
また、お彼岸にはぼたもちを作り、仏前にお供えしてご先祖の霊を供養する風習があります。ぼたもちの名前の由来は諸説あり、サンスクリット語の「bhukta」やパーリー語の「bhutta」などの「飯」を意味する言葉から『ぼた』となり、「mridn’ mudu」などのやわらかい意味の言葉から『もち』となり『ぼたもち』となった。また小豆を花に見立てて春に咲く牡丹から名前がつけられた、などさまざまな説があります。
さらに、ぼたもちの他に『おはぎ』と呼ばれることもあります。前述したように春彼岸は春に咲く牡丹から『牡丹餅』と呼ばれますが、秋彼岸は秋に咲く萩から『お萩』と呼ばれるようになったという説。はたまた、もち米で作ったものを『ぼたもち』、うるち米で作ったものを『おはぎ』と呼んだり、こしあんをつけたものを『ぼたもち』、つぶあんをつけたものを『おはぎ』と呼ぶなど、呼び名もさまざまです。ぼたもちについての名前や呼び名の由来は諸説ありますが、基本的にはおもちを小豆あんでくるんだもののことを指します。
神聖な食材であるもち米・小豆をつかい、栄養も豊富!
おもちは古くから神事に使われる神聖な食材であり、神や精霊が宿ると信じられてきました。そのためおもちは、特にハレの日の食べ物でした。また、小豆の持っている赤い色は邪気を払うとされており、それを仏壇やお墓に供えることが本来意味するもので、私たちはそのお下がりをいただいているのです。
小豆はタンパク質の原料でもあるアミノ酸が豊富に含まれている上、アミノ酸組成が優れているためタンパク質を効率よく摂取することができます。小豆はその他にもビタミンB1、ビタミンB2、不溶性食物繊維を多く含んでいます。ぼたもちは神聖で栄養豊富な上、食べ物が大変貴重であった時代には特に腹もちもよいスーパーフードだったのです。
◆炊飯器で作る『ぼたもち』
<材料> 10個分
もち米 1合
うるち米 1合
砂糖 大さじ2
水 350ml
小豆あん 500g
<作り方>
① もち米とうるち米を研いだ後水をよくきっておく
② ①を炊飯器に入れ、水と砂糖を加えて通常モードで炊飯する(通常のごはんの水深メモリよりも少し少なめにします)
③ ごはんが炊きあがったらボウルに移し、熱いうちにすりこぎなどでついてつぶす
④ ③を10等分し、1つずつ丸めておく
⑤ 小豆あんを10等分し、1つをラップに広げその真ん中に④をのせてくるみ形を整えて完成
ぼたもちは本来もち米100%で作りますが、うるち米を加えることで時間が経ってもかたくなりにくいぼたもちになります。ぼたもちを作るのは少し面倒だと思っていた方もいらっしゃると思いますが、炊飯器で炊くことでとても簡単に出来上がります。
小豆あんは市販のものでもよいですし、あんこから手作りするのも◎。また小豆以外にもきな粉やごまをまぶして食べるのも美味しいですね。甘さなどを自分好みにできることが手作りの最大のメリットです。今年のお彼岸は炊飯器でできる簡単なぼたもちを作ってみませんか。
参考文献:
『年中行事・記念日から引ける 子どもに伝えたい食育歳時記』ぎょうせい/新藤由喜子/著(2008年)
『暮らしならわし十二か月』飛鳥新社/白井明大著(2014年)
『親子で楽しむものしりbook 食で知ろう 季節の行事』/長崎出版/高橋司著(2008年)
文:カベルネmama
管理栄養士、食生活アドバイザー2級の資格を保持。保育園で献立作成や食育を担当していた経験を持つ。現在は幼い3人の息子の育児をしながらレシピ記事作成を行う。料理を作ること・食べることが大好き。子どもたちのため、栄養たっぷりで簡単に作れ、喜んで食べてくれるものを考案する日々を送る。